管理栄養士の過去問
第31回
社会・環境と健康 問1
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問題
第31回 管理栄養士国家試験 社会・環境と健康 問1 (訂正依頼・報告はこちら)
国内外の公衆衛生・予防医学の歴史上の出来事である。正しいのはどれか。2つ選べ。
- スノーによる実地調査が、コレラの蔓延を抑えるきっかけとなった。
- 近代公衆衛生は、産業革命下の英国で始まった。
- ヘルスプロモーションの概念は、アルマ・アタ宣言により世界的に広まった。
- わが国の保健所は、第二次世界大戦後に創設された。
- わが国の母子健康手帳は、少子化対策の一環として導入された。
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この過去問の解説 (4件)
01
1.19世紀イギリスでコレラが流行した時、ジョン・スノーは疫学調査を行い、コレラの原因、感染経路を特定しました。疫学の第一人者です。
2.近代公衆衛生は、イギリスで産業革命が起こった時、都心部に人が集まり生活環境が悪化、疾病が蔓延し、その対策の為に始まりました。
3.ヘルスプロモーションの概念は、1986年にWHOによる「オタワ憲章」で提唱されました。(ヘルス=健康、プロモーション=促進)
アルマ・アタ宣言は1978年プライマリーヘルスケアのあり方を具体的に示したものです。
4.日本の保健所は、1937年結核撲滅、母子保健を向上させるために制定された保健所法に基いて創設されました。
5.母子健康手帳は、母子保健法に基づき、母子の健康を守るために制作されました。
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02
2. 正解です。イギリスは、世界に先駆けて産業革命を経験しました。そしてこれが契機となり、近代公衆衛生活動が始まりました。
3. ヘルスプロモーションの概念は、1986年に提唱されたオタワ憲章により世界的に広まりました。アルマ・アタ宣言は、プライマリ・ヘルスケアを示した国際宣言です。
4. わが国の保健所は、第二次世界大戦前の1937年に、結核予防対策を中心とする保健所法に基づいて創設されました。
5. わが国の母子健康手帳は、母子保険法に基づいて交付されるようになりました。当初は、戦時下の極端な人口増加施策の一環として導入されました。
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03
患者の共通点を分析し、ある特定の水道施設からの水を飲んでいる地区に患者がかたまっていることを発見しました。
これにより、コレラ菌が発見されるより30年も前に予防対策をおこなうことができました。
正解◎2:産業革命のときのイギリスで誕生し、イギリスやアメリカが中心となって広まっていったのが公衆衛生のはじまりです。
3:「アルマ・アタ宣言」「オタワ憲章」の内容の違いを理解しておきましょう。
・アルマ・アタ宣言…感染症などの急性疾患が重要な課題となっている場所で、医療を適切に供給できるように目指す”プライマリーヘルスケア”に関する内容です。(おもに開発途上国の問題点に向けた宣言)
・オタワ憲章…人々が自らの健康をコントロールし改善できるようにするプロセス”ヘルスプロモーション”を打ち出しました。現在日本でいうと健康増進法や健康日本21などに繋がっています。(主に先進諸国)
ヘルスプロモーションの概念はオタワ憲章により広まったのでこの問題は誤りです。
4:保健所が初めてできたのは昭和12年、第二次世界大戦前です。
5:妊産婦・乳児の死亡率が高いことが課題となっており、母子の健康を守ることを目的として作られたのが母子健康手帳です。
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04
1.医師のジョン・スノーが、実地調査を行い、ポンプの井戸水にコレラを発症させる何かが含まれていると結論付け、使用中止にすることでコレラの蔓延を抑制しました。
2.公衆衛生は、産業革命時のイギリスで都市に人が集まり、伝染病などの問題が発生したことにより始まった。
3.ヘルスプロモーションの概念は、1986年オタワ憲章で世界的に広まりました。
アルマ・アタ宣言では、プライマリーヘルスケアの概念が提示されました。
4.わが国の保健所は、1937年に結核予防対策を中心とする保健所法により、各地区に設けられました。
5.わが国の母子健康手帳は、妊産婦や乳幼児の高い死亡率を改善しようと作成されました。
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