世界史の過去問 | 予想問題
世界史A
問3
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問題
世界史A 平成24年度(2013年) 問3 (訂正依頼・報告はこちら)
歴史上の交易と交通・輸送について述べた次の文章を読み、下の問いに答えよ。
ユーラシア大陸各地域で個々に形成された文化圏は、陸上及び海上交易路を通じ、しだいに結びつきを強めていった。陸上では、「オアシスの道」「草原の道」などのルートが存在し、ソグド商人などが交易活動に従事していた。海上では、8世紀前半までに、ペルシア湾からインド、(1)東南アジア、中国南部沿岸部を結ぶネットワークが形成されていた。8世紀半ばのアッバース朝の出現により、(2)海上交易活動は更に活発となった。10世紀半ば以降、中国商人は海上ルートを使って東南アジアに盛んに進出し、この地で(3)ムスリム商人と交易を行うようになった。13世紀における(4)モンゴル帝国の成立は、ユーラシア陸上と海上の交易路を結びつけることとなり、東西交流は一層活発となっていった。
問 下線部(3)に関連して、10世紀以降のイスラーム世界について述べた文として誤っているものを、次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。
ユーラシア大陸各地域で個々に形成された文化圏は、陸上及び海上交易路を通じ、しだいに結びつきを強めていった。陸上では、「オアシスの道」「草原の道」などのルートが存在し、ソグド商人などが交易活動に従事していた。海上では、8世紀前半までに、ペルシア湾からインド、(1)東南アジア、中国南部沿岸部を結ぶネットワークが形成されていた。8世紀半ばのアッバース朝の出現により、(2)海上交易活動は更に活発となった。10世紀半ば以降、中国商人は海上ルートを使って東南アジアに盛んに進出し、この地で(3)ムスリム商人と交易を行うようになった。13世紀における(4)モンゴル帝国の成立は、ユーラシア陸上と海上の交易路を結びつけることとなり、東西交流は一層活発となっていった。
問 下線部(3)に関連して、10世紀以降のイスラーム世界について述べた文として誤っているものを、次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。
- カイロは、バグダードに代わり、イスラーム世界の交易の中心地となっていった。
- セルジューク朝の君主は、アッバース朝のカリフからスルタンの称号を得た。
- サラーフ=アッディーン(サラディン)が、アイユーブ朝を開いた。
- イタリア半島では、後ウマイヤ朝が成立した。
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この過去問の解説 (1件)
01
選択肢の中で矛盾点はないか、また、選択肢と問題文に矛盾点はないかを考査し、矛盾点がないもの(つまり正しいもの)を消すと、自ずと答えが導き出されます。
イスラーム世界では、一度に複数の王朝が興亡しているため、横軸(各王朝のつながり)の確認が必要です。
1、正しい。
確認ポイント:「バグダード」
・アッバース朝の円形都市です。
・最盛は8c~9c
・現在のイラクの首都です。
確認ポイント:「カイロ」
・10c ファーティマ朝の首都です。中継貿易の拠点は別にあり、政治機能のみを持ちます。
・12c アイユーブ朝になり、政府機能が集約されました。そのため人々が集まり、商業都市化します。
・14c 最盛
・15c 衰退
2、正しい。
確認ポイント:1055年、トルコ系セルジューク族がバグダードを攻略します。ブワイフ王朝を倒し、カリフからスルタンの称号を受け、セルジューク朝が成立します。
確認ポイント:アッバース朝は11cまで存続します。
3、正しい。
確認ポイント:サラーフ=アッディーンはファーティマ朝を倒し、アイユーブ朝をひらきます。
4、「イタリア半島」の部分が間違いです。後ウマイヤ朝が成立したのは、イベリア半島です。
確認ポイント:王朝の流れ
・サラーフ=アッディーン(サラディン)によりファーティマ朝が倒され、アイユーブ朝が興ります。
↓
・1250年、スルタンによりアイユーブ朝が倒されます。
↓
・エジプト・シリアにマムルーク朝が興ります。
この頃、ナイル川の安定による農作物の収穫量増加と政権の安定により、貿易が活発になります。
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