世界史の過去問 | 予想問題
世界史A
問22

このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。

問題

世界史A 平成24年度(2013年) 問22 (訂正依頼・報告はこちら)

世界史上の政治体制について述べた次の文章を読み、下の問いに答えよ。

ヨーロッパでは、第一次世界大戦の終結時に開催された(8)パリ講和会議が、戦後の国際秩序の構想を示したが、この構想は現実には様々な問題と矛盾も引き起こし、(9)ヨーロッパ各国の内政に大きな影を落とすこととなった。敗戦国ドイツでは、大戦後の国民的不満を背景にした民族的・排外的主張などによって(10)ナチスが支持を広げ、政権を握った。その後、ドイツは1939年にポーランドに侵攻してヨーロッパを(11)第二次世界大戦の惨禍へと引きずり込んだ。

問 下線部(11)について述べた文として誤っているものを、次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。
  • ド=ゴールは、亡命先からレジスタンスを呼び掛けた。
  • 独ソ不可侵条約を破って、ドイツはソ連に侵攻した。
  • アウシュヴィッツで、数多くのユダヤ人が殺害された。
  • アメリカ合衆国は戦争の間、中立を維持した。

次の問題へ

正解!素晴らしいです

残念...

この過去問の解説 (1件)

01

1、正しいです。
確認ポイント:「ド=ゴール」
・フランスの軍人。第二次世界大戦中にロンドンに亡命し、自由フランス政府を擁立

2、正しいです。
確認ポイント:「独ソ不可侵条約」
1939年にヒトラーとスターリンにより締結されるが、その後、ドイツはこれを破り侵攻。

3、正しいです。

4、「中立を維持した」の部分が間違いです。アメリカは連合国側に参加していました。
確認ポイント:「連合国」と「枢軸国」
「連合国」イギリス、フランス、中国。ソ連とアメリカは遅れて参加。
「枢軸国」ドイツ、イタリア、日本

以上のことから、正解は4とわかります。

参考になった数1