美容師の過去問
第43回
文化論及び美容技術理論 問1

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問題

第43回 美容師国家試験 文化論及び美容技術理論 問1 (訂正依頼・報告はこちら)

明治時代の女性の髪型に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。
  • 明治16年に建設された鹿鳴館での舞踏会は、女性の洋装や洋髪の出現に影響を与えた。
  • まがれいとやイギリス結びという髪型は、代表的な西洋束髪である。
  • 束髪は、和装、洋装ともによく似合う髪型である。
  • 日本髪は、明治時代に入ってから結われなくなった。

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この過去問の解説 (3件)

01

答えは4です。

1、

1883年(明治16)年に建設された鹿鳴館の舞踏会により、女性の洋装や洋髪が増えました。

その当時「日本髪は不便である」という考えの運動が起こり、全国に西洋束髪が広まりました。

よって、正しいです。

2、

代表的な西洋束髪は、西洋上げ巻き、西洋下げ巻き、イギリス結びまがれいとです。

よって、正しいです。

3、

洋服(洋装)を着る人は一部の人で、多くの人は和装を着ていました。

束髪は、洋装でも和装でも似合い、手入れがしやすく、便利で衛生的な束髪が広まりました。

よって、正しいです。

4、

束髪は、上流階級や知識層の女性に広まりました。

身分、年齢、職業、貧富、未婚、既婚等による日本髪の習慣や制限は根強く残っていました。

明治、大正、昭和にかけて、大きな戦争などで、西洋束髪と日本髪は形を変え、徐々に技術が融合されていきます。

よって、(明治時代に入ってから結われなくなった)→(明治時代に入っても結われていた)の間違いです。

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02

答えは4です。

1. 正しいです。

鹿鳴館(明治16年建設)に集まる上流階級の女性達の間で結われるようになった「夜会巻き」など

束髪が流行するきっかけにもなりました。

2. 正しいです。

束髪とは、簡単に結える女性の髪型の一種です。

まがれいと(マーガレット)、英吉利(イギリス)結びは代表的な西洋束髪です。

3. 正しいです。

束髪は、手軽に自分で結え、和装・洋装にも似合う髪型として流行しました。

4. 誤りです。

鹿鳴館建設をきっかけとして、貴族や上流階級に洋装が取り入れられましたが、ほとんどの一般女性は着物で生活し、日本髪を結っていました。

明治18年以降、「婦人束髪会」が結成され、日本髪から束髪へと移行していきました。

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03

明治時代は、文明開化によって髪型や服装などが変化していきました。

選択肢1. 明治16年に建設された鹿鳴館での舞踏会は、女性の洋装や洋髪の出現に影響を与えた。

鹿鳴館での舞踏会で夫人たちが結った夜会巻がきっかけとなり、束髪が広まりました。また鹿鳴館ではバッスルドレスという、欧米のファッションもみられ、女性の洋装や洋髪の出現に影響を与えたといえます

 

よって正しいです。

選択肢2. まがれいとやイギリス結びという髪型は、代表的な西洋束髪である。

代表的な西洋束髪は、西洋上げ巻き、西洋下げ巻き、まがれいと、イギリス結びです。

 

よって正しいです。

選択肢3. 束髪は、和装、洋装ともによく似合う髪型である。

束髪は、日本髪に比べて気軽に結うことができ、加えて和装でも洋装でも似合うのが特徴的でした。

 

よって正しいです。

選択肢4. 日本髪は、明治時代に入ってから結われなくなった。

明治時代に入ってから、束髪が広まりましたが、一方で日本髪が廃れたわけではなく、多くの人に結われていました

 

よって誤りです。

まとめ

明治時代の女性の髪型は、束髪、日本髪、どちらか一方ではなく、両方が入り混じっていました。

覚えておきましょう。

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