行政書士の過去問
平成25年度
一般知識等 問48
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問題
行政書士試験 平成25年度 一般知識等 問48 (訂正依頼・報告はこちら)
戦後日本の外交に関する次の記述のうち、妥当なものはどれか。
- 1951年に日本は、吉田茂首相のもと、いわゆる西側諸国とポーツマス条約を締結して独立を回復した。同年に、日米間では日米安全保障条約を締結し、その後、1960年にはその改定がなされた。
- 1956年に日本は、鳩山一郎首相のソ連訪問において、日ソ不可侵平和条約を締結した。これを契機として、東欧諸国との国交が順次結ばれ、同年には国際連合への加盟を果たした。
- 1965年に日本は、大韓民国との間で日韓基本条約を締結した。また、朝鮮民主主義人民共和国との間の国交は、2002年の小泉純一郎首相の平壌訪問によって回復した。
- 1971年に日本は、アメリカとの間で沖縄返還協定を結び、翌1972年には沖縄の復帰を実現した。但し、環太平洋戦略的防衛連携協定により、日本はアメリカ軍基地の提供を続けている。
- 1972年に日本は、田中角栄首相が中華人民共和国を訪問した際に、日中共同声明によって、中華人民共和国との国交を正常化した。その後、1978年に日中平和友好条約を締結した。
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この過去問の解説 (3件)
01
1.誤り
1951年吉田茂首相のもと、締結されたのは「サンフランシスコ講和条約」です。
これにより、日本は独立を回復しました。
2.誤り
日ソ不可侵条約は、1941年に締結されました。
1956年の日ソ共同宣言により、日本は国際連合に加盟することとなりました。
3.誤り
1965年の日韓基本条約により、韓国との国交は回復されましたが、北朝鮮との国交は未だ回復していません。
4.誤り
1971年の沖縄返還協定により沖縄の復帰は実現しましたが、基地に関しては日米安全保障条約によるものです。
5.正しい
1972年に日中共同声明により中国との国交を回復し、1978年に日中平和友好条約が締結されました。
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02
1 誤
1951年に吉田茂首相のもと、「サンフランシスコ講和条約」を締結し、GHQの活動停止と共に日本は独立を回復した。ポーツマス条約としている点が誤りです。
2 誤
1956年に「日ソ不可侵平和条約を締結」ではなく、鳩山一郎首相のもと、「日ソ共同宣言に署名」したことにより東欧諸国との国交が結ばれ、日本は国際連合ヘ加盟しました。また問題文にある、「日ソ不可侵平和条約」は通常、平和は入らず「日ソ不可侵条約」と呼ばれます。
3 誤
1965年に「日韓基本条約」を締結した点は正しい。しかし、北朝鮮との国交は2002年の小泉純一郎首相の訪問によって回復したと言い切ることはできません。
4 誤
前半の1971年に「沖縄返還協定」を結び、翌1972年には沖縄の復帰を実現したという点は正しいです。しかし、日本がアメリカ軍基地を提供しているのは、「日米安全保障条約」によるものであり、「環太平洋戦略的防衛連携協定」ではありません。
5 正
問題文の通りです。1972年、田中角栄首相が「日中共同声明」に調印し、1978年には「日中平和友好条約」が締結されました。
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03
1951年に日本が吉田茂首相のもとで締結したのはサンフランシスコ条約です。またポーツマス条約は日露戦争の講和条約です(1905年)
2妥当ではない
日ソ不可侵条約は第二次世界大戦中に締結されたものです。国際連合加盟は1956年の日ソ共同宣言によります。
3妥当ではない
1965年の日韓基本条約によって韓国との国交は正常化された。しかし、朝鮮民主主義人民共和国との国交はいまだに正常化していない。
4妥当ではない
1971に沖縄返還協定を締結した。沖縄に米軍の提供は日米安全保障条約によります。
5妥当である
1972年に日中共同声明が調印されました。
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