行政書士の過去問
令和4年度
一般知識等 問47
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問題
行政書士試験 令和4年度 一般知識等 問47 (訂正依頼・報告はこちら)
ロシア・旧ソ連の外交・軍事に関する次の記述のうち、妥当なものはどれか。
- 1853年にロシアはオスマン朝トルコとウクライナ戦争を起こし、イギリス・フランスがトルコ側に参戦して、ウィーン体制に基づくヨーロッパの平和は崩壊した。
- 第一次世界大戦の末期の1917年に、ロシアでいわゆる名誉革命が生じ、革命政権は「平和に関する布告」を出し、社会主義インターナショナルの原則による和平を求めた。
- 独ソ不可侵条約・日ソ中立条約を締結してから、ソ連は1939年にポーランドに侵攻して東半分を占領し、さらにフィンランドとバルト三国とスウェーデンも占領した。
- 1962年にキューバにソ連のミサイル基地が建設されていることが分かり、アメリカがこれを空爆したため、キューバ戦争が起こった。
- 1980年代前半は新冷戦が進行したが、ソ連の最高指導者ゴルバチョフは新思考外交を展開し、1989年の米ソ両首脳のマルタ会談において、東西冷戦の終結が宣言された。
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この過去問の解説 (3件)
01
ロシアのウクライナ侵攻もあり、タイムリーな話題として出題されましたが、ロシアの歴史に関しては知識的にかなり難しい問題かと思います。
妥当ではありません
1853年に起きたのはウクライナ戦争ではなく「クリミア戦争」であるため間違いです。後半の「イギリス・フランスがトルコ側に参戦して、ウィーン体制に基づくヨーロッパの平和は崩壊した」という記述に関しては正しいです。
妥当ではありません
1917年に起きたのは名誉革命ではなく「ロシア革命」であるため間違いです。そもそも「名誉革命」は、イギリスで起こった革命です。
妥当ではありません
独ソ不可侵条約・日ソ中立条約が結ばれたのは、ソ連のポーランドに侵攻より後です。前後関係が違うため間違いです。
妥当ではありません
1962年にキューバにソ連のミサイル基地が建設されていることが分かり、米ソ間の緊張感が高まり「キューバ危機」が起こりました。しかし、アメリカは空爆していませんし、キューバ戦争は起こっていないため間違いです。
正しいです
「マルタ会談」は、1989年にアメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長とで行われたの首脳会談で、東西冷戦を終結させた会談です。
ロシアの歴史に関する問題は難しい印象がありますが、選択肢の中から間違いを見つけて消していけばある程度絞れます。
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02
この問題のポイントはロシア・旧ソ連の外交・軍事の理解です。
まずはクリミア戦争で1853年にロシアとオスマン帝国との間で、黒海沿岸の支配権をめぐって起こった大戦争です。
この戦争の背景として東方問題があります。
東方問題とは、オスマン帝国の弱体化を受けて周辺国が干渉をしたために起きた、外交上の問題です。
また、クリミア戦争は1856年にオーストリアとプロイセンの仲介で、パリ条約が結ばれ、終結しました。
次にロシア革命で1904年と1917年にロシア帝国で起きた革命で、この革命によりロシア帝国は滅び、ソビエト連邦が誕生します。
そしてこの革命の中でレーニンが第一次世界大戦の交戦国に対し、第一次世界大戦を直ちにやめ、平和に対する布告を出しました。
その後、ソビエト連邦は1938年に独ソ不可侵条約を締結し、1939年にソ連によるポーランド侵攻が、1941年に日ソ中立条約が締結されました。
1962年にキューバ危機が起きました。
キューバ危機とは、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設し、アメリカがその基地の建設を発見しました。
そして、アメリカがキューバの海上封鎖を実施し、米ソ間の緊張が高まり、核戦争寸前までいきました。
これがキューバ危機で、この危機はソ連が核ミサイルを撤去して終わりました。
最後に1989年にマルタ会談が行われ、これはアメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュとソ連のゴルバチョフ書記長との間の首脳会談で、この会談により東西冷戦は終わりました。
以上の点をおさえて、解説をみていきましょう。
解説の冒頭より、1853年にクリミア戦争が起きました。
よって、1853年にロシアはオスマン朝トルコとクリミア戦争を起こし、イギリス・フランスがトルコ側に参戦して、ウィーン体制に基づくヨーロッパの平和は崩壊したとなります。
解説の冒頭より、1917年にロシアで起こった革命はロシア革命です。
よって、第一次世界大戦の末期の1917年に、ロシアでロシア革命が生じ、革命政権は「平和に関する布告」を出し、社会主義インターナショナルの原則による和平を求めたとなります。
解説の冒頭より、ソビエト連邦は1938年に独ソ不可侵条約を締結し、1939年にソ連によるポーランド侵攻が、1941年に日ソ中立条約が締結されました。
また、ソ連はポーランド侵攻でフィンランドとスウェーデンは占領していません。
よって、独ソ不可侵条約を締結してから、ソ連は1939年にポーランドに侵攻して東半分を占領し、さらにバルト三国も占領したとなります。
解説の冒頭より、1962年にキューバ危機が起き、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設し、アメリカがキューバの海上封鎖を実施し、米ソ間の緊張が高まり、核戦争寸前までいきました。
よって、1962年にキューバにソ連のミサイル基地が建設されていることが分かり、アメリカがキューバの海上封鎖をしたため、キューバ危機が起こったとなります。
解説の冒頭より、1989年にマルタ会談が行われ、これはアメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュとソ連のゴルバチョフ書記長との間の首脳会談で、この会談により東西冷戦は終わりました。
よって、1980年代前半は新冷戦が進行したが、ソ連の最高指導者ゴルバチョフは新思考外交を展開し、1989年の米ソ両首脳のマルタ会談において、東西冷戦の終結が宣言されたとなります。
この問題のように、世界史の知識を問う問題も行政書士試験には出てくるので、大学入試の世界史や政治経済の問題集などをやる等の対策が必要だと考えられます。
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03
本問は一般知識等科目の政治、経済、社会ですが、「政治、経済、社会は範囲が広すぎるし、何が出るかわからない、対策しにくい」と思う方が多いかと思います。
しかも、捨て科目に使用にも足切りがありますので、最低限6問は正解しないといけない。
ただ、おそらく試験委員の先生もそこは分かっていると思います。
それでもなぜ、政治、経済、社会を出題するかというと、受験生が分からないなりにもどのように回答するのかという点を試験委員は確認したいのだと思います。
行政書士試験合格後にクライアントからの問い合わせに対して「分からないからよそに行ってくれ」というのと、「分からないので調べてから折り返します」というのでは全然違います。
受験生が分からないなりにも、考え抜いて最低限6問は正解できるかという点を試験委員の先生は考えて問題を作成されていると思います。
そこで、知識も大切ですが、思考力を身に着けるべきだと思います。
「最近、ロシアとウクライナが戦争してるな」という事は、よくニュースでやっていると思いますが、1853年は、170年前の話なので、全然最近ではありません。
この時点で、「もしかして、この問題間違っているのでは」と思った方、これ以上深く考える必要はありません。
よって、本記述は誤っています。
ちなみに、本記述の戦争はクリミア戦争であります。
社会の教科書で「昔、ヨーロッパの方でいろんな革命が起こったな、でも、名前までは覚えてないよ」という方、そこまで分かれば大丈夫です。
名誉革命はその「昔、ヨーロッパの方でいろんな革命が起こった」のうちの一つで1688年にイギリスで起こった革命です。
本記述の229年前に起きました。
よって、本記述は誤っています。
日ソ中立条約が締結されたのは、1941年ですが、ソ連がポーランドに侵攻したのは本記述にあるとおり、1939年です。
前後関係が違います。
よって、本記述は誤っています。
第二次世界大戦が終わったのは1945年ですが、その17年後にアメリカがソ連のミサイル基地を空爆したらどうなるか、考えると分かると思います。
ソ連激おこですよね。
二つとも大きな国なので、大規模な戦争になるかと思います。
しかし、いわゆる冷たい戦争は起こりましたが、お互いヒートアップして攻撃しあうような、いわゆる戦争は起こりませんでしたよね。
よって、本記述は誤っています。
ちなみに、本記述はキューバ危機であり、核戦争になるかと思われましたが、何とか回避しました。
本記述の通りです。
本問は選択肢5つあるうち、3つが誤りであることは思考力でいけるかと思いますが、残りの2つは知識がないと分かりません。
しかし、どちらを回答するかは正直、鉛筆を転がして運任せという形でもいいと思います。
ただ、令和6年から政治、経済、社会が行政書士法等に変更されるので、令和5年に受験する人以外は学習する必要はないと思います。
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