管理栄養士の過去問 第36回 午後の部 問137
この過去問の解説 (3件)
解答は【4】です。
1.×
海軍の脚気対策は、高木兼寛が行いました。
海兵の食事を白米食からパン食に変更し、脚気患者数が急激に減少しました。
2.×
私立栄養学校の最初の設立は、佐伯矩が行いました。
3.×
栄養改善法が制定されたのは、第二次世界大戦後の1952年です。
4.〇
1945年に、連合国軍総司令部(GHQ)の指令により、東京都内の栄養調査が行われました。
5.×
ララ物資の寄贈は、アジア救援公認団体によります。
1.海軍の脚気対策は、森林太郎による。
✖→高木兼寛氏によって疫学調査が行われ、予防策が発見されました。また、医師だった森林太郎氏(森鴎外氏)は高木氏の脚気説を否定し細菌説を主張していた方です。
2.私立栄養学校の最初の設立は、鈴木梅太郎による。
✖→佐伯矩(さえきただす)氏によります。鈴木梅太郎氏は米ぬかから脚気(かっけ)に効く成分(ビタミンB1)の抽出に成功し、オリザニンと命名された方です。
3.第二次世界大戦前の栄養行政は、栄養改善法による。
✖→栄養改善法は1952年(昭和27年)7月31日に公布されており、第二次世界大戦後の栄養行政です。
4. 1945年の東京都栄養調査の実施は、連合国軍総司令部(GHQ)の指令による。
〇→海外からの食糧援助を受けるための基礎資料を得る目的でGHQの指令に基づく調査を実施したとされています。
5.ララ物資の寄贈は、国連世界食糧計画(WFP)による。
✖→ララとは、Licensed Agencies for Relief in Asia(アジア救援公認団体)の略称です。よってWFPによるものではなく、アジア救援公認団体によるものです。このララを通じ、日本へ寄贈された食糧その他の生活必需品が、ララ物資と呼ばれていました。WFPは、食糧援助と天災などの被災国に対し、緊急援助を施したり経済・社会の開発を促したりする国際連合の機関です。活動内容が類似していますので、区別して覚えることが大切ですね。
わが国の公衆栄養活動の歴史について見ていきましょう。
海軍の脚気対策は、高木兼寛が行いました。
私立栄養学校の最初の設立は、佐伯矩が行いました。
栄養改善法による栄養行政は第二次世界大戦後に行われました。
正解です。
ララ物資の寄贈は、主にアメリカの宗教団体や社会事業組織の支援により実現しました。
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