理容師の過去問
第41回 新
文化論及び理容技術理論 問1
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問題
第41回 新 理容師国家試験 文化論及び理容技術理論 問1 (訂正依頼・報告はこちら)
明治時代のファッション文化に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。
- 丸刈りは衛生的かつ効率の良いことから、学生や労働者、軍人などが行っていた。
- 日露戦争後に軍人の間で、当時のドイツ皇帝のひげをまねたカストロひげが流行した。
- 断髪令後の散切りや斬髪は、天皇自らが断髪されたことで急速に普及した。
- 明治4年に一般的に断髪令とよばれる散髪脱刀令が出された。
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この過去問の解説 (3件)
01
正解は2です。
明治時代に日本にもバリカンが紹介され、全体を短く刈る丸刈りが流行しました。
衛生的で効率の良い丸刈りは、学者や労働者、役人や軍人などの多くが行っていました。
1は正しい説明です。
日露戦争後に、当時のドイツ皇帝のひげ(ひげの両端を上にはね上げたスタイル)を真似たカイゼル(ドイツ語で皇帝keiser)ひげが軍人の間で流行しました。
2が誤った説明です。
明治初期は髷を切ることに抵抗がある者もまだまだいましたが、1873年(明治6年)に天皇自らが断髪したことで、散切りや斬髪が急速に普及しました。
3は正しい説明です。
1871年(明治4年)に、太政官布告として散髪脱刀令、いわゆる断髪令が出されました。
髷を結わなくても帯刀しなくてもよいと、「散髪脱刀勝手たるべし」と記されました。
4も正しい説明です。
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02
明治時代のファッション文化には多くの変化がありました。
この記述は正しいです。明治時代には衛生面や実用性を理由に、丸刈りが広く行われていました。
この記述は誤りです。日露戦争後に流行したのは、ドイツ皇帝のひげ(カストロひげ)ではなく、むしろ「カストロひげ」自体は流行しませんでした。カストロひげは主に20世紀のファッションの一部であり、明治時代の軍人の流行とは関係ありません。
この記述は正しいです。断髪令(髪型に関する法令)が出された後、天皇が自ら断髪することで、この新しい髪型が急速に普及しました。
この記述は正しいです。明治4年に発布された「散髪脱刀令」は、髪型の変更を促すとともに、刀剣を帯びることを禁止しました。これが「断髪令」として広く認識されています。
日露戦争後に流行したのはカストロひげではなく、またその時期にはこのひげの流行は確認されていません。他の選択肢は明治時代のファッション文化に関して正確な記述です。
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03
1 . 丸刈りは衛生的かつ効率の良いことから、学生や労働者、軍人などが行っていました。
そのため、速く短く刈るバリカンが重宝されて、実用化されました。
2 . カストロひげではなく、カイゼルひげです。
※カストロはキューバの革命家です。
3 . 断髪令後の散切りや斬髪は、天皇自らが断髪されたことで急速に普及し、文明開化の象徴となりました。
4 . 明治4年の太政官布告により、一般的に断髪令とよばれる散髪脱刀令が出されました。
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