理容師の過去問
第41回 新
文化論及び理容技術理論 問2
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問題
第41回 新 理容師国家試験 文化論及び理容技術理論 問2 (訂正依頼・報告はこちら)
明治時代の髪型と道具に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。
- 国産の理髪鋏が製造された。
- 国産の内バネ式クリッパーが完成した。
- 鋏とクリッパーで刈る「チャン刈」が、紳士や大商人の間で大流行した。
- 鋏だけで刈る「長刈」が、学生や兵士に流行した。
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この過去問の解説 (3件)
01
1 . 国産の理髪鋏が製造されました。
※フランス製の理髪鋏をモデルにしたものと考えられています。
2 . 国産の内バネ式クリッパーが完成しました。
※高価であり、使用方法もわからず、すぐには普及しませんでした。
3 . 鋏とクリッパーで刈る「チャン刈」が、上品な髪型とされ、紳士や大商人の間で大流行しました。
4 . バリカンだけで刈る「丸刈」が、学生や兵士に流行しました。
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02
明治時代には、日本の髪型や理髪道具に関して様々な変化がありました。
この記述は正しいです。明治時代に国産の理髪鋏が製造され、日本の理容業界に利用されるようになりました。
この記述は正しいです。国産の内バネ式クリッパーが開発され、日本の理容業界で使用されました。
この記述は正しいです。「チャン刈り」は、鋏とクリッパーで刈る髪型で、特に紳士や大商人の間で流行しました。
この記述は誤りです。明治時代には、「長刈り」は学生や兵士よりもむしろ、主に「丸刈り」などが流行していました。鋏だけで刈る「長刈り」よりも、より短い髪型が一般的でした。
「長刈」が学生や兵士に流行したという記述は誤りです。明治時代には、より短い髪型が流行していました。
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03
正解は4です。
明治初期にフランス人によってもたらされたと言われる西洋理髪鋏は、輸入が追い付かず国産品がつくられるようになりました。
1は正しい説明です。
明治時代に国産化されたクリッパーは、フランス製をモデルにした内バネ式でしたが、高価で数も少なかったため、すぐには普及しませんでした。
2も正しい説明です。
日露戦争後には、鋏とクリッパーで刈る前頭部が長めで襟元の短いチャン刈りが、紳士や大商人の間流行しました。
3も正しい説明です。
鋏だけで刈る長刈は、チャン刈よりも上品な髪型とされていたので、裕福な上流層の間で流行したと思われます。
4が誤った説明です。
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