理容師の過去問
第47回
文化論及び理容技術理論 問1
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問題
第47回 理容師国家試験 文化論及び理容技術理論 問1 (訂正依頼・報告はこちら)
1930年代の髪型に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。
- 女性の間でパーマネントウェーブが普及しはじめた。
- 角丸型の短髪であるGI刈が流行した。
- リーゼントがイギリスのスタイルとして紹介された。
- 電熱式のパーマネントウェーブが男性の髪型に取り入れられた。
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この過去問の解説 (3件)
01
この年代(1930年)は、食料不足や戦争や国際的な緊張で海外の流行に娯楽を求める傾向にある時代であることを頭に入れておく必要があります。
海外の女優の影響もあり、1920年代頃から、パーマが流行し、
1933年にフィンガーウェーブが誕生しました。
なのでこちらは、対象外です。
GI刈は、世界大戦敗戦後、戦時中に禁止されていたオシャレへの関心が爆発した際に流行しました。
そのためこちらが誤っている回答になります。
ロンドンのリージェント街で発祥し、1930年代に紳士の髪型として流行しました。
なので、対象外です。
電気を用いない加熱方式が海外で開発され日本でも流行が始まりました。
なのでこちらは対象外です。
時代ごとにおきた主な戦争や各国の状況を把握しておく必要があります。
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02
1930年代の髪型に関する理解は、当時のファッションや社会的背景を反映しており、髪型の流行を正確に把握することができます。以下に、各記述について詳しく解説し、誤っているものを特定します。
1930年代には、パーマネントウェーブが女性の間で普及し始めました。この技術は、髪に持続的なカールを加えるもので、当時のファッションに大きな影響を与えました。この記述は正しいです。
GI刈(GIカット)は、1950年代のアメリカで流行した髪型であり、1930年代にはまだ普及していませんでした。GI刈は第二次世界大戦後に人気を博しましたので、この記述は誤りです。
リーゼント(リーゼントスタイル)は、1950年代のアメリカの青年文化から広まったもので、イギリスのスタイルとして紹介されたわけではありませんが、1930年代にはまだこのスタイルは普及していませんでした。しかし、この選択肢は完全に誤りではなく、1930年代の文脈においては、リーゼントは1950年代のスタイルです。
電熱式のパーマネントウェーブは1930年代に開発され、男性の髪型にも取り入れられました。この技術は、髪にカールを加えるもので、特に女性の間で広まりましたが、男性にも使用されました。この記述は正しいです。
1930年代の髪型に関する記述の中で、GI刈は1950年代に流行したため、「角丸型の短髪であるGI刈が流行した。」という記述が誤りです。他の選択肢は1930年代の背景に合致しています。
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03
1930年代(大正・昭和)の髪型に関する記述の中から誤っているものを選ぶ問題です。
1930年代半ばに電熱式のパーマネントウェーブ(電髪)が普及し始めましたが、1940年に陸軍省情報部の命令で実質的に禁止されてしまいました。
これは正しい記述です。
1945年の終戦後、アメリカ兵の髪型を真似た角丸形の短髪スタイル「GI刈」が流行しました。
これが誤った記述です。
リーゼントは、日本ではイギリス紳士の髪型として紹介され、1930年代に流行したヘアスタイルです。
これは正しい記述です。
1936年には、電熱式のパーマネントウェーブが男性の髪型にも取り入れられるようになりました。
これは正しい記述です。
1930年代は、パーマネントウェーブが日本で急速に普及し始めた時代です。
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