理容師の過去問
第49回
文化論及び理容技術理論 問1
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問題
第49回 理容師国家試験 文化論及び理容技術理論 問1 (訂正依頼・報告はこちら)
明治時代の服装に関する次の記述のうち、正しいものはどれか。
- 軍服をモデルに国民服が作られた。
- 都会の男性会社員の間で背広上下が普及した。
- 女学生の制服として、セーラー服とスカートが考案された。
- 宮中における大礼服や通常礼服が洋装と規定された。
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この過去問の解説 (2件)
01
明治時代の服装に関する記述のうち、正しいものはどれかについて解説します。
誤りです。国民服は昭和時代に制定されたもので、戦時中の一般国民向けに着用が奨励された服装です。
誤りです。背広上下が普及したのは大正時代以降で、明治時代にはまだ一般的ではありませんでした。
誤りです。セーラー服が女学生の制服として採用されたのは大正時代以降のことです。
正しいです。明治時代には西洋化が進められ、宮中においても洋装が公式に採用されました。大礼服や通常礼服として洋装が規定されたのは、近代化を象徴する出来事の一つです。
正しい選択肢は 宮中における大礼服や通常礼服が洋装と規定された。 です。明治時代は、日本の服装が急速に西洋化される時期であり、宮中の礼装においても洋装が採用されました。
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02
この問題は、明治時代の背景を考えることで解ける問題です。
軍服をモデルに国民服が作られたの明治時代ではなく昭和15年です。
よってこの説明は誤りです。
背広上下が普及したのは明治時代ではなく大正時代です。
よってこの説明は誤りです。
女学生の制服として、セーラー服とスカートが考案されたのは明治時代ではなく大正時代です。
よってこの説明は誤りです。
宮中における大礼服や通常礼服が洋装と規定されたのは明治時代です。
よってこの説明は正しいです。
明治時代に起こった出来事や象徴的な出来事と合わせて覚えることが大切です。
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