世界史の過去問 | 予想問題
世界史A
問13
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問題
世界史A 平成24年度(2013年) 問13 (訂正依頼・報告はこちら)
世界史上の政治体制について述べた次の文章を読み、下の問いに答えよ。
(1)20世紀初め、中国で議会制の実現を志向した革命家のなかに宋教仁がいる。宋教仁は武装蜂起(ほうき)に失敗し、日本に亡命した。日本で(2)清朝政府による立憲準備の報に接した宋は、その内容を清朝が国民の資質を低く見て議員の資格を与えないものと受け取って、不満と怒りを日記に記している。中華民国成立後に、宋の率いる国民党は(3)国会選挙に勝利した。この国会で宋は内閣総理に指名されることが期待されていたが、その開会直前に、凶弾の犠牲となった。
問 下線部(2)の皇帝について述べた文として正しいものを、次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。
(1)20世紀初め、中国で議会制の実現を志向した革命家のなかに宋教仁がいる。宋教仁は武装蜂起(ほうき)に失敗し、日本に亡命した。日本で(2)清朝政府による立憲準備の報に接した宋は、その内容を清朝が国民の資質を低く見て議員の資格を与えないものと受け取って、不満と怒りを日記に記している。中華民国成立後に、宋の率いる国民党は(3)国会選挙に勝利した。この国会で宋は内閣総理に指名されることが期待されていたが、その開会直前に、凶弾の犠牲となった。
問 下線部(2)の皇帝について述べた文として正しいものを、次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。
- 光緒帝は、日本の二十一か条要求を受け入れた。
- 乾隆帝は、「改革開放」を提唱した。
- 光武帝は、勘合貿易を開始した。
- 宣統帝は、清朝最後の皇帝であった。
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この過去問の解説 (1件)
01
皇帝在任中の日本や世界など、横軸も合わせて理解しておくと、点数アップにつながります。
1、選択肢の中に矛盾があり、ふさわしくありません。
21か条要求の際の皇帝は「ラストエンペラー」宣統帝(愛新覚羅溥儀)です。大隈内閣が袁世凱に対して行いました。
西太后によって擁立された光緒帝は1908年に死亡し、跡を継いだのが宣統帝でした。このとき、3歳でした。
2、選択肢の中に矛盾があり、ふさわしくありません。
「乾隆帝」は漢の時代の皇帝で、鎖国体制を整えました。
一方、「解放改革」とは、20Cに行われた中国国内体制の改革と対外開放政策のことです。
3、選択肢の中に矛盾があり、ふさわしくありません。
「光武帝」は後漢の皇帝です。「勘合貿易」は別名「日明貿易」。
つまり、室町幕府と明との貿易です。
4、1と関連があります。こちらが正しいです。
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