世界史の過去問 | 予想問題
世界史A
問14
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問題
世界史A 平成24年度(2013年) 問14 (訂正依頼・報告はこちら)
世界史上の政治体制について述べた次の文章を読み、下の問いに答えよ。
(1)20世紀初め、中国で議会制の実現を志向した革命家のなかに宋教仁がいる。宋教仁は武装蜂起(ほうき)に失敗し、日本に亡命した。日本で(2)清朝政府による立憲準備の報に接した宋は、その内容を清朝が国民の資質を低く見て議員の資格を与えないものと受け取って、不満と怒りを日記に記している。中華民国成立後に、宋の率いる国民党は(3)国会選挙に勝利した。この国会で宋は内閣総理に指名されることが期待されていたが、その開会直前に、凶弾の犠牲となった。
問 下線部(3)に関連して、次の年表に示したa~dの時期のうち、清朝が国会開設を約束する憲法大綱を公布した時期として正しいものを、下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。
1885年 天津条約締結
【a】
1901年 北京議定書調印
【b】
1911年 武昌蜂起
【c】
1925年 五・三〇事件勃発(ぼっぱつ)
【d】
(1)20世紀初め、中国で議会制の実現を志向した革命家のなかに宋教仁がいる。宋教仁は武装蜂起(ほうき)に失敗し、日本に亡命した。日本で(2)清朝政府による立憲準備の報に接した宋は、その内容を清朝が国民の資質を低く見て議員の資格を与えないものと受け取って、不満と怒りを日記に記している。中華民国成立後に、宋の率いる国民党は(3)国会選挙に勝利した。この国会で宋は内閣総理に指名されることが期待されていたが、その開会直前に、凶弾の犠牲となった。
問 下線部(3)に関連して、次の年表に示したa~dの時期のうち、清朝が国会開設を約束する憲法大綱を公布した時期として正しいものを、下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。
1885年 天津条約締結
【a】
1901年 北京議定書調印
【b】
1911年 武昌蜂起
【c】
1925年 五・三〇事件勃発(ぼっぱつ)
【d】
- a
- b
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この過去問の解説 (1件)
01
1900年に起こった義和団事件の後、政権継続のために西太后は、大日本帝国憲法を規範として憲法大綱を制定し、9年後の国会開設を約束しました。
ところが西太后が死亡し、国会開設は実現せずに国民たちは不満を募らせ、1911年に武昌蜂起による辛亥革命によって、清朝は倒れることとなりました。
このとが理解できていると、答えは2と導き出されます。
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