美容師の過去問
第41回 新
文化論及び美容技術理論 問1

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問題

第41回 新 美容師国家試験 文化論及び美容技術理論 問1 (訂正依頼・報告はこちら)

1960年代にわが国で流行したミニスカートに関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。
  • 背の低い傾向の日本人に合うスタイルとして、世代を超えて受け入れられた。
  • ツイッギーの来日後に、流行のピークを迎えた。
  • 若者の間に流行した服装で、ヒッピーファッションと呼ばれた。
  • 脚の露出部分が多くなるので、ブーツも流行した。

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この過去問の解説 (3件)

01

ヒッピーファッションはカラフルなTシャツに破れたジーンズなどが代表的です。

※ヒッピーとは、既存の制度・慣習・価値観を拒否して脱社会的行動をとる人々のことです。

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02

答えは「若者の間に流行した服装で、ヒッピーファッションと呼ばれた。」です。

選択肢3. 若者の間に流行した服装で、ヒッピーファッションと呼ばれた。

ヒッピーとは1960年代後半にアメリカ合衆国に登場した

愛と平和を訴え、自然を愛し、人間として自由に生きるスタイルを求めた人々です。

民族衣装のような格好が特徴です。

よって、誤りです。

参考になった数11

03

1960年代の日本では、ミニスカートの他にヒッピーファッションやアイビールックなども流行しました。

選択肢1. 背の低い傾向の日本人に合うスタイルとして、世代を超えて受け入れられた。

ミニスカートは、イギリスで商品化されたファッションでしたが、日本でも、背の低い傾向の日本人に合うスタイルとして、世代を超えて受け入れられました。

 

よって正しいです。

選択肢2. ツイッギーの来日後に、流行のピークを迎えた。

1968年にツイッギーが来日し、その後ミニスカートは流行のピークを迎えます。

 

よって正しいです。

選択肢3. 若者の間に流行した服装で、ヒッピーファッションと呼ばれた。

ヒッピーファッションは、長髪に破れたジーンズなどが特徴で、ミニスカートとは関係がありません。

 

よって誤りです。

選択肢4. 脚の露出部分が多くなるので、ブーツも流行した。

ミニスカートは脚の露出部分が多くなるので、パンストやブーツも同じく流行しました

 

よって正しいです。

まとめ

ミニスカートの流行は1960年代であり、1970年には流行が終わります。

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