美容師の過去問
第44回
文化論及び美容技術理論 問2
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問題
第44回 美容師国家試験 文化論及び美容技術理論 問2 (訂正依頼・報告はこちら)
1950〜1980年代の服装に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。
- 1958年にソフィア・ローレンが来日して、立体裁断を伝えた。
- 1959年ごろ、ロンドンでメアリー・クワントがミニスカートを商品化した。
- 1964年に東京・銀座で「西銀座族」、「みゆき族」とよばれる若者達が話題となった。
- 1981年からパリコレクションに進出した山本耀司(やまもとようじ)、川久保玲(かわくぼれい)のデザインが「黒の衝撃」として注目された。
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この過去問の解説 (3件)
01
答えは1です。
1. 誤りです。
1958年、来日して立体裁断を伝えたのはピエール・カルダンです。
2. 正しいです。
メアリー・クアント(マリー・クアント)がミニスカートを商品化しました。
3. 正しいです。
「西銀座族」や「みゆき族」と呼ばれる若者達が話題になりました。
※みゆき族の「みゆき」は、みゆき通りという場所に由来しています。
4. 正しいです。
1981年からパリコレに進出した山本耀司(ヨウジヤマモト)、川久保玲(コム・デ・ギャルソン)のデザインが「黑の衝撃」として注目されました。
これをコピーしたファッションがカラス族です。
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02
解答:1
解説:
1.誤
日本に立体裁断を浸透させたパイオニア的な存在は『ピエール・カルダン』です。親日家・日本好きで1958年に来日し【文化服装学院・杉野学園ドレスメーカー女学園】をまわり、講習会やファッションショーを開催しました。ソフィア・ローレンはイタリアの女優です。
2.正
メアリー・クワント(マリー・クアント)はイギリスのファッションデザイナーでモッズ・ルックの元祖になり、1959年に発表した膝上丈の画期的なミニスカートが世界中で大流行しました。
3.正
当時流行していた『アイビールック』を独自に解釈した若者たちをさし、はじめは「西銀座族」と呼ばれてましたが、その後銀座・みゆき通りに集まるようになり「みゆき族」と呼ばれるようになりました。
4.正
1981年に山本 耀司が【ヨウジヤマモト】を、川久保 玲が【コム・デ・ギャルソン】で、当時の主流ファッションの価値観では考えられない全身黒で穴が空いていたり、アシンメトリーだったりする作品をパリコレクションで発表し、『黒の衝撃』と評されました。
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03
文化論から、ファッションの歴史に関する問題です。
ソフィア・ローレンは1960年頃に活躍したイタリアの女優です。1958年に来日し、立体裁断を伝えたのは、ピエール・カルダンです。
メアリー・クワントは、1959年頃にミニスカートを商品化し、世界的に大流行させました。
1964年東京・銀座では、アイビールックを取り入れた若者たちがたむろするようになり、「西銀座属」、「みゆき族」と呼ばれて話題となりました。
「山本耀司」「川久保玲」のデザインは、黒の衝撃(東からの衝撃)として、世界に衝撃を与え、世界的に流行していきました。日本ではカラス族などと表現されます。
近代のファッション史に関する問題では、それぞれの年代に流行したファッションの名称などが出題されます。有名なファッションデザイナーや、その代表的なアイテムはしっかりと覚えておきましょう。
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