行政書士の過去問
令和元年度
一般知識等 問47
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問題
行政書士試験 令和元年度 一般知識等 問47 (訂正依頼・報告はこちら)
次の各年に起こった日中関係に関する記述のうち、妥当なものはどれか。
- 1894年に勃発した日清戦争は、翌年のポーツマス条約で講和が成立した。それによれば、清は台湾の独立を認める、清は遼東半島・澎湖諸島などを日本に割譲する、清は日本に賠償金 2 億両を支払う、などが決定された。
- 1914年の第一次世界大戦の勃発を、大隈重信内閣は、日本が南満州の権益を保持し、中国に勢力を拡大する好機とみて、ロシアの根拠地であるハルビンなどを占領した。1915年には、中国の袁世凱政府に「二十一カ条要求」を突き付けた。
- 1928年に関東軍の一部は、満州軍閥の張作霖を殺害して、満州を占領しようとした。この事件の真相は国民に知らされず、「満州某重大事件」と呼ばれた。田中義一内閣や陸軍は、この事件を日本軍人が関与していないこととして、処理しようとした。
- 1937年の盧溝橋事件に対して、東条英機内閣は不拡大方針の声明を出した。しかし、現地軍が軍事行動を拡大すると、それを追認して戦線を拡大し、ついに、宣戦布告をして日中戦争が全面化していった。
- 1972年に佐藤栄作首相は中華人民共和国を訪れ、日中共同宣言を発表して、日中の国交を正常化したが、台湾の国民政府に対する外交関係をとめた。さらに、1978年に田中角栄内閣は、日中平和友好条約を締結した。
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この過去問の解説 (3件)
01
1× 日清戦争は、「下関条約」で講和が成立しているので、誤りです。なお、ポーツマス条約は日露戦争の講和条約です。
2× 満州の利益を狙ってハルビンなどを占領したのは1931年の満州事変での出来事です。
3〇 正しい記載です。この事件は、「張作霖爆殺事件」とも呼ばれています。
4× 前段については、盧溝橋事件は近衛内閣での出来事であるため、誤りです。また、後段については、日中戦争においては日本は戦線布告をしていないため、誤りです。
5× 前段(日中共同宣言)については田中角栄内閣、後段(日中平和友好条約)については福田赳夫内閣での出来事であるため、誤りです。
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02
1:×
「ポーツマス条約で講和が成立した」とする記載は誤りです。
日清戦争は、下関条約の締結により講和が成立しました。
2;×
「ロシアの根拠地であるハルビンなどを占領した」とする記載は誤りです。
ハルビンの占領は、1932年です。
3:〇
その通りです。
4:×
「東条英機内閣は不拡大方針の声明を出した」とする記載は誤りです。
盧溝橋事件後、近衛文麿内閣が不拡大方針の声明を出しました。
5:×
「佐藤栄作首相は中華人民共和国を訪れ、日中共同宣言を発表」、「田中角栄内閣は、日中平和友好条約を締結」とする記載は誤りです。
日中共同宣言を発表したのは、田中角栄首相です。また、日中平和友好条約を締結したのは、福田赳夫内閣です。
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03
①誤り
日清戦争は、下関条約の締結により、講和が成立しました。
②誤り
この内容は満州事変の内容です。
③正しい
正しい記述です。
④誤り
1937年の盧溝橋事件に対して、不拡大方針の声明を出したのは近衛文麿内閣です。
⑤誤り
1972年に田中角栄首相が中華人民共和国を訪れ、日中共同宣言を発表し、日中の国交を正常化しました。
1978年に福田赳夫内閣は、日中平和友好条約を締結した。
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