行政書士 過去問
令和6年度
問48 (一般知識等 問2)
問題文
中東やパレスチナに関する次の記述のうち、妥当でないものはどれか。
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問題
行政書士試験 令和6年度 問48(一般知識等 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
中東やパレスチナに関する次の記述のうち、妥当でないものはどれか。
- 1947年に、国際連合総会において、パレスチナをアラブ人国家とユダヤ人国家と国際管理地区とに分割する決議が採択された。
- 1948年に、イスラエルの建国が宣言されると、これに反発したアラブ諸国との間で第一次中東戦争が勃発した。
- 1987年に、イスラエルの占領地で始まり、大規模な民衆蜂起に発展したパレスチナ人による抵抗運動を、第一次インティファーダ(民衆蜂起)という。
- 1993年に、パレスチナ解放機構(PLO)とイスラエルとの間で暫定自治協定が結ばれ、(ヨルダン川)西岸地区・ガザ地区でパレスチナの先行自治が始まった。
- 2020年に、日本が仲介して、イスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)およびイランが、国交の正常化に合意した。
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この過去問の解説 (2件)
01
ユダヤ人国家であるイスラエルと中東のイスラム国家との間の歴史についての問題です。
〇
1947年11月29日、国際連合総会決議においてイギリスがパレスチナの委任統治をしていたものを終了し、アラブ人国家、ユダヤ人国家、エルサレム市(国連)の3つに分割する決議が採択されました。
〇
1948年5月14日にイスラエルの建国が宣言されました。
その後レバノン、シリア、ヨルダン、エジプト、イラクが連盟を組んでイスラエルに宣戦布告しました。
(サウジアラビア、イエメン、モロッコも後に加勢しました。)
〇
イスラエル軍とパレスチナ人との衝突により1987年に生じた抵抗運動を第一次インティファーダといいます。
〇
1993年9月にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で締結されたものでイスラエルがそれまで占領していた地域の一部についてパレスチナ人の自治権が認められました。
×
イスラエルは米国を仲介役として2020年にアラブ首長国連邦と国交正常化に合意しました。しかしイランとは国交正常化は達成できていません。
イスラエルとUAEが国交正常化したのはイランを警戒してのことで、バーレーンとも2020年に国交正常化に合意しました。
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02
本問は中東のパレスチナ問題に関して簡単な歴史知識を問う問題です。
日本人は中東に関する関心が非常に低いと言われるところ、これを出題したのは、出題者の問題意識の表れでしょうか。
大学入試の世界史の試験に出そうな問題だと思います。
妥当です。
パレスチナの地では第二次世界大戦前ごろからユダヤ人とアラブ人の対立が激しくなっていました。イギリスはその対立を収めることができず音を上げて、パレスチナの処遇について国連に判断を丸投げしました。
その結果、1947年に、パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家とイェルサレムを国際連合管理とするパレスチナ分割決議が採択されました。
妥当です。
パレスチナ分割決議から半年ほど経った1948年に、イスラエルの建国宣言に対してアラブ連盟とイスラエルの間でパレスチナ戦争(第一次中東戦争)が勃発しました。
米英の支援を受けたイスラエルに対して、各国の国力がぜい弱でしかも一枚岩とも言えなかったアラブ連盟は敗北し、イスラエル建国は既成事実となりました。
妥当です。
1987年にイスラエル占領地区のガザにおいて発生した住民暴動が、統一的な目標を有する政治運動となったのが第一次インティファーダです。
既成国家のアラブ諸国のパレスチナへの介入ではなく、被占領地のパレスチナ人自身による政治抵抗運動です。
この抵抗運動を表す言葉として、メディアは最初、単なる「暴動、住民蜂起」と読んでいましたが、やがてアラビア語での「インティファーダ」(「揺らす」という意味)という表記がそのまま使用されるようになりました。
なお、「第一次インティファーダ」と呼ぶ通り、「第二次」があるのですが、その様相はまったく異なり、名前が同じだけでまるで別ものです。
「第何次」というのは単に何回目のという意味に過ぎません。
妥当です。
第一次インティファーダの結果、1991年の中東和平国際会議にパレスチナ住民代表が初参加し、ついに、1993年のパレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)により、イスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)がお互いに「敵」同士であり、つまり、交渉相手となることを公式に認めました。両者が同じ土俵に上ることをお互いに認めたということです。
オスロ合意により、パレスチナ人の自治権も確立し、ヨルダン川西岸地区及びガザ地区を領域とするパレスチナ暫定自治政府が成立しました。
妥当ではありません。よってこの肢が正解です。
仲介したのはアメリカです。また、イスラエルはイランとは国交正常化はしていません。
2020年アメリカの仲介でUAE(アラブ首長国連邦)、次いでバーレーンが国交正常化に合意しました。これをアブラハム和平協定合意(単にアブラハム合意とも)と呼びます。
イランとイスラエルは仇敵同士で、2025年6月現在でほとんど戦争状態になっています。
元々、UAE(及びイスラエル)とイランの緊張が高まったことが、UAEとイスラエルの国交正常化につながりました。つまり、両国の共通の敵としてのイランがアブラハム合意の契機になったわけです。
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