行政書士 過去問
令和6年度
問49 (一般知識等 問3)

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問題

行政書士試験 令和6年度 問49(一般知識等 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

日本円の外国為替に関する次の記述のうち、妥当なものはどれか。
  • 1931年に金輸出が解禁されて金本位制に基づく日米英間の金融自由化が進み、ソ連・中国・ドイツの統制経済圏を包囲する自由経済圏が成立した。
  • 1949年に1ドル=360円の単一為替レートが設定されたが、ニクソンショックを受けて、1971年には1ドル=308円に変更された。
  • 1973年には固定相場制が廃止され、変動相場制に移行したため、その後の為替レートは、IMF(国際通貨基金)理事会で決定されている。
  • 1985年のいわゆるレイキャビック合意により、合意直前の1ドル=240円から、数年後には1ドル=120円へと、円安ドル高が起きた。
  • 2014年には、「戦後レジーム(ワシントン・コンセンサス)を取り戻す」ことを目指した通称「アベノミクス」により、1ドル=360円になった。

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この過去問の解説 (2件)

01

日本円の外国為替

戦後GHQの統治下には固定相場制が組まれたものの、1973年に変動相場制に移行。

その後は1985年プラザ合意からバブル経済、1990年総量規制からバブル崩壊と進んでいきました。

選択肢1. 1931年に金輸出が解禁されて金本位制に基づく日米英間の金融自由化が進み、ソ連・中国・ドイツの統制経済圏を包囲する自由経済圏が成立した。

×

1931年犬養内閣のもとで世界恐慌の煽りを受け、金の輸出は原則禁止(許可制)となりました。

金輸出が解禁されたとしている部分は誤りとなります。

選択肢2. 1949年に1ドル=360円の単一為替レートが設定されたが、ニクソンショックを受けて、1971年には1ドル=308円に変更された。

1949年ドッジ・ラインにより1ドル360円の固定相場制となりましたが、その後の1971年のスミソニアンレートにより308円となりました。

選択肢3. 1973年には固定相場制が廃止され、変動相場制に移行したため、その後の為替レートは、IMF(国際通貨基金)理事会で決定されている。

×

あくまで外国為替レートは各通貨の需要と供給のバランスで決まります。国際通貨基金が定めている訳ではありません。

 

選択肢4. 1985年のいわゆるレイキャビック合意により、合意直前の1ドル=240円から、数年後には1ドル=120円へと、円安ドル高が起きた。

×

1985年の日・米・英・仏・西独間で行われた「プラザ合意」により為替レートが円高・ドル安に大きく変動しました。

本肢では「レイキャビック合意」および「円安ドル高」としているところが誤りとなります。

選択肢5. 2014年には、「戦後レジーム(ワシントン・コンセンサス)を取り戻す」ことを目指した通称「アベノミクス」により、1ドル=360円になった。

×

2014年の「アベノミクス」とは戦後レジーム(ワシントン・コンセンサス)からの脱却を目指した経済政策を指します。

また、2014年に1ドル360円にはなっていません。

まとめ

その当時の経済政策によって為替相場も大きく変わります。

どの政権がどのような政策をとったのか整理して学習しましょう。

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02

本問は、外国為替の歴史に関する知識を問うものですが、半分くらいはただの常識です。

選択肢1. 1931年に金輸出が解禁されて金本位制に基づく日米英間の金融自由化が進み、ソ連・中国・ドイツの統制経済圏を包囲する自由経済圏が成立した。

妥当ではありません


1931年は、金輸出が「禁止」された年です。
金輸出の解禁はこの前年1930年です。

 

第一次世界大戦時に政府財政の悪化に対応するため先進国は金輸出を停止し、アメリカも参戦に伴い金輸出を禁止しました。この流れに日本も倣います。
そして大戦後、各国が金輸出を解禁し金本位制に復帰する中で、日本は当時の国内経済の不況に対応する政策として、紙幣の増刷を行っていたために金本位制に戻れない事情がありました。
しかし、紙幣の増刷は不況下のインフレを招いただけで効果がありませんでした。
そこで、緊縮財政でインフレを抑え込み、産業の合理化で国際競争力を高め、とどめに国際経済の標準である金本位制への復帰により国際経済に参戦するために金輸出解禁を行いました。
ところが、このタイミングがアメリカの恐慌が始まった直後という最悪のもので、結果的に先進国経済は世界恐慌の荒波に飲み込まれます(昭和恐慌)。
結果、緊縮財政+昭和恐慌により、日本経済はデフレ不況に陥り、輸入超過で金の大量流出という事態を招きます。
そして、翌1931年に金輸出を禁止し、金本位制を離脱して管理通貨制度へ移行するに至ります。

選択肢2. 1949年に1ドル=360円の単一為替レートが設定されたが、ニクソンショックを受けて、1971年には1ドル=308円に変更された。

妥当です。よってこの肢が正解です。
 

1949年以後、ドル円相場は1ドル360円の固定相場でした。
その後、1971年にニクソン大統領が金兌換を一時停止したいわゆるニクソンショックにより混乱した世界経済の収拾のため、スミソニアン博物館で先進10カ国蔵相会議が開かれ、1ドル308円に米ドルが切り下げられました。


しかし、スミソニアン協定もしょせんは付け焼刃に過ぎず、この後1973年に、わずか1年少々の期間で変動相場制へ移行することになりました。

選択肢3. 1973年には固定相場制が廃止され、変動相場制に移行したため、その後の為替レートは、IMF(国際通貨基金)理事会で決定されている。

妥当ではありません

 

変動相場制における為替レートは為替市場の需給で決まります。どこかの組織が決めるものではありません。
ですから、政府は市場介入によって為替相場を動かすことができますし、逆に、介入する事までしかできません。


なお、IMFは元々戦後経済の基本的な枠組みであるブレトン・ウッズ体制の中核を担う機関であり、国際金融・為替の協議調整機関として設立されました。
1973年の変動相場制への移行に伴い、IMFの役割も変わり、発展途上国の経済問題への対処として途上国融資を行うことが主要な目的となっています。

選択肢4. 1985年のいわゆるレイキャビック合意により、合意直前の1ドル=240円から、数年後には1ドル=120円へと、円安ドル高が起きた。

妥当ではありません


1985年の、ドル円相場を固定相場から変動相場にすることを決めたのはプラザ合意です。
1986年のレイキャビク合意は米ソの中距離核兵器削減合意です。

 

そもそも同じ額のドル(1ドル)を買うのに240円から120円の半額で済むようになっているということは円の価値が対ドルで倍に上がっているということです。つまり、「円高ドル安」です。これが「円安ドル高」のわけがありません。

選択肢5. 2014年には、「戦後レジーム(ワシントン・コンセンサス)を取り戻す」ことを目指した通称「アベノミクス」により、1ドル=360円になった。

妥当ではありません

ツッコミどころしかなく、どこから突っ込んだらいいのか迷うほどの肢です。

 

まず、戦後レジームとワシントンコンセンサスはまったく別ものです。
戦後レジームとは、簡単に言えば、第二次世界大戦(太平洋戦争)により成立した政治体制のことですが、ワシントンコンセンサスは、1980年代からアメリカ政府が推進した市場主義・新自由主義的経済政策の基本的発想のことです。

また、安倍総理大臣が掲げたスローガンは、「戦後レジームからの脱却・日本を取り戻す」であって、「戦後レジームを取り戻す」ではありません。それも、アベノミクスとは直接関係なく、しかも、このスローガンは第一次安倍内閣の2006~2007年ごろの話です。

そして、つい少し前のことなのでさすがに知らない人もいないと思うのですが、ドル円相場が1ドル=360円などという固定相場時代の50年以上前の水準に戻るような事態は起こっていません。2014年末の円安が最も進んだ時点でのドル円相場ですら1ドル=121円程度です。

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