保育士の過去問
平成26年(2014年)
保育原理 問4
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問題
保育士試験 平成26年(2014年) 保育原理 問4 (訂正依頼・報告はこちら)
次の文は、日本における保育の先駆者についての記述である。適切な記述を選びなさい。
- 倉橋惣三は、幼児教育内容調査委員会の委員として、1948(昭和23)年刊行の「保育要領」の作成に携わった。
- 赤沢鍾美は1890(明治23)年、日本で初めて農繁期託児所を開設した。
- 明石女子師範学校付属小学校・幼稚園の主事であった及川平治は、アメリカの進歩主義教育の影響を受けて、児童中心主義に基づく生活が大切であると主張し、その教育成果を『分団式動的教育法』として著した。
- 野口幽香らによって1900(明治33)年に開設された二葉幼稚園は、貧民家庭の幼児を対象として保育を行い、1916(大正5)年に二葉保育園と改称した。
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この過去問の解説 (3件)
01
1.正しい。倉橋惣三と言えば日本における保育の先駆者と言えば必ず出題されると言っても良いです。
過去にも「倉橋惣三」単独での問題も出ています。東京女子師範学校主事。児童中心主義。幼児教育の父。著書「育ての心」「生活を生活で生活に」です。
⇔対比する人物として城戸幡太郎も覚えておくと良いでしょう。社会中心主義。保育問題研究会です。
2.誤り。筧雄平は「農繁期託児所」を作りました。
赤沢鍾美・仲子夫妻は新潟静修学校付設託児所を作りました。日本初の常設託児所です。
3.正しい。及川平治は「分団式動的教育法」児童中心主義を主張しました。
4.正しい。野口幽香は森島峰(斉藤)と共に二葉幼稚園を開設しました。
よって選択肢1.3.4が正解となります。
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02
農繁期託児所(日本初の季節託児所)は筧雄平(かけい ゆうへい)が開設しました。
赤沢鍾美(あかざわ あつとみ)は妻の仲子(なかこ)とともに、生徒が連れてくる乳幼児のために新潟静修学校敷設託児所(日本初の常設託児所)を創設(1890:明治23年)しました。のちに保育部門が独立して守孤扶独幼稚児保護会(明治40年ごろ)となり、現在も赤沢保育園として存続しています。
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03
1:○
倉橋惣三(1882~1955) 大正から昭和にかけて児童中心主義の理論と実践を指導。
東京女子高等師範学校付属幼稚園の主事。恩物中心の形式主義的保育を批判し、幼児の生活自体を
基本とする「誘導的保育論」を提唱しました。
2:×
農繁期託児所を作ったのは、筧雄平です。
赤沢鐘美 明治23年、新潟市の赤沢家塾静修学校に通う貧困児童についてくる幼児を別室で妻が保育し、のちに労働等で保育に欠ける幼児も一緒に面倒を見るようになり、明治41年「守孤扶独幼稚児
保護会」とし、常設保育所の最初と言われています。
3:○
4:○
東京二葉幼稚園
1900(明治33)年、野口幽香、斉藤峰の2人によって東京四谷のスラム地帯に設立。恵まれない子どもに良い環境での教育を施しました。1915年、二葉保育園と称されました。スラム保育(貧民幼稚園)のはじめとされています。
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