理容師の過去問
第42回
文化論及び理容技術理論 問2

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問題

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この過去問の解説 (3件)

01

正解は4です。

大正期に中流階級以上の男児に流行した頭頂部が長いスタイルは「坊ちゃん刈」と呼ばれました。

1は正しい説明です。

第一次世界大戦中ごろからヨーロッパで流行していた「オールバック」は日本にも伝えられ普及しました。

一説には大正7年に来日したアメリカのスミス飛行士が紹介したとも言われています。

2も正しい説明です。

大正期にはコテ(火熱式アイロン)を使って髪を縮らせたり髪を赤く染めたりといったそれまでになかった方法でオシャレを楽しむ人も増えていきました。

3も正しい説明です。

1950年代(昭和25年~)にアメリカで流行したアイビールックやヨーロッパではやっていたコンチネンタルスタイルが1960年代(昭和35年~)に日本で独自の流行を生みました。

4が誤った説明です。

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02

大正時代における髪型や関連するファッションの変化について理解を問う問題です。

選択肢1. 頭頂部を長めにした子どもの坊っちゃん刈が行われはじめた。

この記述は正しいです。大正時代には、子ども向けの坊っちゃん刈が流行しました。頭頂部を長めにするスタイルが特徴です。

選択肢2. ヨーロッパで広がったオールバックが、わが国にも伝わった。

この記述は正しいです。オールバックはヨーロッパからの影響を受けて、日本でも広まりました。髪を後ろに流すスタイルです。

選択肢3. 欧米人にならってコテで縮毛にしたり、赤く染めるようなことが行われた。

この記述は正しいです。大正時代には欧米の影響を受けて、コテで縮毛にしたり、髪を赤く染めることが行われました。

選択肢4. アイビールックやコンチネンタルスタイルが、トータルファッションとして若者を中心に流行した。

この記述は誤りです。アイビールックやコンチネンタルスタイルは、主に昭和時代に流行したファッションスタイルであり、大正時代の髪型としては適切ではありません。

まとめ

大正時代には、さまざまな西洋のファッションやヘアスタイルが影響を与えましたが、アイビールックやコンチネンタルスタイルは主に昭和時代に流行したもので、大正時代の髪型としては誤りです。

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03

正解は4です。

・アイビールック、コンチネンタルスタイル

1965(昭和40)年ごろ、髪型も含めて頭のてっぺっんから足のつま先まで一つの調子で統一する総合的なファッションのことです。

原宿や青山を中心に発生し、若者を中心に定着しました。

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