理容師の過去問
第43回
文化論及び理容技術理論 問1
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問題
第43回 理容師国家試験 文化論及び理容技術理論 問1 (訂正依頼・報告はこちら)
明治から昭和にかけての服装に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。
- 明治時代の女性の洋装は、皇族や宮中の女官、上流階級を除き、男性ほど一般的ではなかった。
- 大正時代のバスガール(車掌)の制服は和装であった。
- 第2次世界大戦になると、軍服をモデルに国民服が作られた。
- 第2次世界大戦後、アメリカンファッションの影響を受け、女性の間で膝丈より長めのロングスカートが流行した。
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この過去問の解説 (3件)
01
正解は2です。
明治時代において、洋装は男性では比較的早く取り入れられましたが、
女性は皇族など上流階級に限られていてまだまだ一般的ではありませんでした。
1は正しい説明です。
大正初期に登場したバスガール(女性車掌)は、まだ着物姿が多かった当時では
珍しい洋装でした。
2が誤った説明です。
国民服は、第2次世界大戦下の1940年(昭和15年)施行の「国民服令」で
制定された軍服をモデルに作られた男子の服装です。
3は正しい説明です。
戦後の女性の間でアメリカンファッションの影響からロングスカートが
流行しました。
4も正しい説明です。
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02
明治から昭和にかけての日本の服装は、西洋文化の影響を受けながら、時代とともに変遷を遂げました。
解説: 明治時代、日本では西洋文化が急速に導入され、男性の間では洋装が広まりましたが、女性の洋装はまだ限られたものでした。特に皇族、宮中の女官、上流階級の女性に限られており、一般庶民には和装が主流でした。社会的な慣習や経済的な制約もあり、女性が洋装をすることは一般的ではなかったため、この記述は正しいです。
解説: 大正時代は日本のモダン化が進んだ時期で、女性の職業服にも洋装が広がりました。バスガールの制服は洋装が一般的で、和装の車掌は見られませんでした。職業服としての洋装の導入は、近代化や都市化の象徴ともいえる変化でした。この記述は誤りです。
解説: 戦時中、日本では資源節約と統制経済の観点から、機能的で簡素な服装が求められました。軍服をモデルにした国民服が普及し、これにより統一的な服装が推奨されました。国民服は男女を問わず導入され、特に男性には標準的な服装となりました。この記述は正しいです。
解説: 戦後、アメリカの文化が日本に大きな影響を与え、特にファッションではその影響が顕著に見られました。女性のファッションもアメリカのスタイルを取り入れたもので、当時流行していたロングスカートは、華やかさとエレガンスを象徴するものとして広まりました。この記述は正しいです。
明治から昭和にかけて、日本の服装は西洋文化の影響を受けて大きく変化しました。明治時代の女性の洋装は限定的で、男性に比べて広まるのが遅かったものの、大正時代には職業服として洋装が広がり始めました。戦時中には国民服が導入され、戦後はアメリカンファッションが流行しました。選択肢の中で誤っているのは「大正時代のバスガール(車掌)の制服は和装であった」という記述で、実際には洋装が主流だったことがポイントです。
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03
正解は2です。
1 .明治時代の女性の洋装は、皇族や宮中の女官、上流階級を除き、男性ほど一般的ではなかった。
→看護婦は職業服として洋服を着用していました。
2 .大正時代のバスガール(車掌)の制服は洋装でした。
→全体としてはまだまだ着物姿でした。
3 .第2次世界大戦になると、軍服をモデルに国民服が作られた。
→女性はもんぺやもんぺずぼんの和洋折衷のスタイルが広く着用されました。
4 .第2次世界大戦後、アメリカンファッションの影響を受け、女性の間で膝丈より長めのロングスカートが流行しました。
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