精神保健福祉士の過去問
第18回(平成27年度)
精神保健福祉相談援助の基盤 問24
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問題
第18回(平成27年度) 精神保健福祉士国家試験 精神保健福祉相談援助の基盤 問24 (訂正依頼・報告はこちら)
精神科ソーシャルワーカーの歴史に関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
- ジャレット(Jarrett, M.)は、全てのケースワークに精神医学的観点が必要であることを述べた。
- ビアーズ(Beers, C.)は、精神科ソーシャルワーカーとして、精神科医療の改革を目指した精神衛生運動を展開した。
- キャノン(Cannon, I.)は、自ら精神科ソーシャルワーカーと名のったことから、「PSWの母」と称されている。
- 第二次世界大戦中、従軍兵の戦争神経症への対処として、ソーシャルワーカーが戦地派遣され、精神科ソーシャルワーカーの誕生に寄与した。
- 日本の精神科ソーシャルワーカーは、第二次世界大戦後間もない時期に都立松沢病院に社会事業婦が置かれたことに始まる。
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この過去問の解説 (3件)
01
1:ジャレット(Jarrett.M)は、1913年ボストン精神科病院で社会事業部主任に就任し、精神科医で院長でもあるサザードとともにPSWの教育に従事しました。この頃のソーシャルワークには、力動精神医学の要素が色濃く反映されていました。力動精神医学とは、人間の精神現象を生物、心理、社会的なパワーバランスの結果として捉えた精神医学です。ジャレットのケースワークにも力動精神医学の観点が強く現れています。
2:ビアーズ(Beers.C)は、精神科ソーシャルワーカーではなく精神障害を持つ当事者です。自身の入院体験時の悲惨な入院環境を指摘し、精神科病院の改革を訴えた著書「わが魂に会うまで」が有名です。後にマイヤー医師とともに精神衛生運動を展開しました。
3:キャノン(Cannon.I)は、PSWではありません。医療ソーシャルワーカーです。マサチューセッツ総合病医院で、医療ソーシャルワークの重要性について、周囲の理解を得ることに尽力しました。
4:第二次世界大戦中ではなく、第一次世界大戦中の従軍兵の戦争神経症への対処として、ソーシャルワーカーが戦地派遣されました。
5:日本の精神科ソーシャルワーカーは、第二次世界大戦後まもない時期に都立松沢病院ではなく、国立国府台病院に社会事業婦が置かれたことが始まりです。
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02
1.ジャレットは、全てのケースワークに精神医学的観点が必要であることを述べました。
2.ビアーズは、精神科ソーシャルワーカーではなく当事者として、精神科医療の改革を目指した精神衛生運動を展開しました。
3.キャノンは、精神科ソーシャルワーカー(PSW)ではなく、医療ソーシャルワーカー(MSW)です。
4.ソーシャルワーカーが戦地派遣され、精神科ソーシャルワーカーの誕生に寄与したのは、第一次世界大戦です。
5.日本の精神科ソーシャルワーカーは、第二次世界大戦後間もない時期に、国立国府台病院に社会事業婦が置かれたことに始まります。
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03
1.ジャレットは、1913年にボストン精神病院で、院長のサザードとともにPSWの教育訓練を行いました。
2.ビアーズは、当事者で「わが魂に会うまで」の著書で有名です。マイヤー医師とともに精神衛生運動を行いました。
3.キャノンは、医療ソーシャルワーカーです。病院内にソーシャルワークの機能を認知させていく活動を行いました。
4.第一次世界大戦中に、ソーシャルワーカーが戦地派遣されました。
5.日本の精神科ソーシャルワーカーは、国立国府台病院に社会事業婦が置かれたことから始まりました。
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