精神保健福祉士の過去問
第18回(平成27年度)
地域福祉の理論と方法 問114
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問題
第18回(平成27年度) 精神保健福祉士国家試験 地域福祉の理論と方法 問114 (訂正依頼・報告はこちら)
セツルメントに関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
- 日本におけるセツルメント運動は、アダムス(Adams、 A.)が岡山博愛会を設立したことに始まるとされている。
- 中央慈善協会は、全国の主要な都市で展開されていたセツルメント運動の連絡・調整を図ることを目的として設立された。
- 留岡幸助は、大崎無産者診療所を開設し、セツルメント運動に取り組んだ。
- 大原孫三郎は、セツルメントの拠点としてキングスレー・ホールを開設した。
- 賀川豊彦は、神戸の貧困地域でのセツルメントの実践を『貧乏物語』にまとめた。
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この過去問の解説 (4件)
01
セツルメント運動は、イギリスで生まれました。知識や財を持つ人が、貧困地域(スラム街)に移り住み、困窮者やその家族と生活を共にしながら、その生活の改善を図りました。
1:日本におけるセツルメント運動は、1891年(明治24年)にアダムスが岡山博愛会を設立したことが始まりとされていますので、正解です。
2:中央慈善協会は、1908年(明治41年)に設立され、社会福祉事業(慈善事業や救済事業など)の全国的な連絡組織とするために設立されました。セツルメントに限っての組織ではありませんので誤りです。
中央慈善協会は現在の全国社会福祉協議会の前身です。
初代会長は、渋沢栄一でした。
3:留岡幸助は、少年感化院「家庭学校」を設立しました。少年感化院は、非行少年や保護者のいない少年を保護し、教育により更生を図る施設でした。現在の「児童自立支援施設」前身です。よって誤りです。
「大崎無産者診療所」を開設したのは、大栗清実です。無産者とは、生産手段を持たず、労働で得た給料で生活をする者です。
4:大原孫三郎は、倉敷紡績や倉敷中央病院、大原美術館などを設立した実業家です。よって誤りです。
セツルメントの拠点として「キングスレー・ホール」を開設したのは、片山潜です。
5:賀川豊彦は、神戸のスラム街でセツルメントを実践し、『死線を超えて』を著作しました。よって誤りです。『貧乏物語』は、河上肇の著作です。貧困を資本主義による産業化が生んだ社会問題として捉えています。
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02
1.日本におけるセツルメント運動は、アダムスが1891年(明治24年)に岡山博愛会を設立したことに始まるとされています。
2.中央慈善協会は、セツルメント運動だけでなく、慈善事業の活動の連絡・調整を図ることを目的として設立されました。
3.留岡幸助は家庭学校を開設しました。大崎無産者診療所を開設したのは大栗清実です。
4.セツルメントの拠点としてキングスレー・ホールを開設したのは、片山潜です。大原孫三郎は、倉敷紡績をはじめする大原財閥を築き上げ、社会文化事業にも取り組んだ実業家ですが、キングスレー・ホールの開設とは関係ありません。
5.賀川豊彦が神戸の貧困地域でのセツルメントの実践をまとめたものは『死線を超えて』です。『貧乏物語』は河上肇によるものです。
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03
セツルメント運動とは、貧しい人たちが多く住む地域の中で、貧しくない人たちも住むことによって、お互いに関わり合い生活の向上に努める社会運動のことをいいます。
1→日本におけるセツルメント運動は、1981年(明治24年)アダムス(Adams、 A.)が岡山博愛会を設立したことに始まるとされています。
2→ 中央慈善協会は、慈善救済活動についての調査や団体相互の連絡、行政との調整などの活動を行い、地方における組織化を試みました。現在の全国社会福祉協議会の組織化に至る源流といえます。
3→留岡幸助は、感化院(現在の児童自立支援施設のこと)教育の実践家です。大崎無産者診療所は、大栗清実が開設しました。
4→キングスレー・ホールとは、日本におけるセツルメント運動のきっかけとなった施設です。片山潜によって開設されました。大原孫三郎は、岡山県の実業家です。
5→『貧乏物語』は河上肇が著者です。賀川豊彦は、キリスト教における博愛の精神を実践した「貧民街の聖者」として知名度の高い人物です。
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04
セツルメントとは貧困な人々を対象とした民間による活動です。
中央慈善協会(COS)と混合しないように気を付けましょう。
1〇 正しいです。アリス・ペティ・アダムスが日本初のセツルメント施設を設立したとされています。
2× セツルメント運動ではなく、慈善事業の連絡調整を行っていました。
3× 留岡幸助は「感化院」という非行少年を対象とした児童施設の創立者です。
4× キングスレー・ホールは片山潜(かたやません)が設立しました。
5× 『貧乏物語』の著者は河上肇(かわかみはじめ)です。
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