保育士の過去問
平成24年(2012年)
保育原理 問101

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問題

保育士試験 平成24年(2012年) 保育原理 問101 (訂正依頼・報告はこちら)

次の文は、倉橋惣三についての記述である。適切な記述を○、不適切な記述を×とした場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。

A 幼児生活の価値を認め、幼児の生活を保障することの必要性を提唱した。
B 幼児の生活を「さながらにしておく」ことが大切であるとし、そこでの幼児の自発生活を尊重した。
C 『幼稚園雑草』『育ての心』『幼児教育書簡』など多数の著作がある。
D 1917(大正6)年、東京女子高等師範学校附属幼稚園の主事になり、後に日本の幼児教育界の理論的指導者となった。
E 1936(昭和11)年、保育問題研究会を結成し、その会長を務めた。

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この過去問の解説 (3件)

01

A:倉橋惣三は、子どもと遊ぶことが好きで暇さえあれば子どもと遊んでいました。子どもと過ごす中で、倉橋は年齢固有の発達を心理学からは捉えず子どもの生活の中でその子どもを捉えようとしていました。「生活を生活で生活へ」という彼の言葉があるように幼児生活の重要性を提唱しました。

B:倉橋惣三の保育方法と計画は、「幼児のさながらの生活」→「自由と設備」→「自己充実」→「充実指導」→「教導」という順です。それを一括して「誘導保育」と称しています。それらの過程をたどることで幼児の自発生活を尊重し、自由遊びを重んじました。

C:「幼稚園雑草」「育ての心」「キンダーブック」等の数々の著書はありますが、「幼児教育書簡」はペスタロッチの著書です。

D:1917年に東京女子高等師範学校の教授になったと同時に東京女子高等師範学校の主事となりました。

E:保育問題研究会を結成し、会長になったのは城戸幡太郎(1893、7、1~1985、11、18 心理学者、教育学者、北海道大学名誉教授)です。倉橋惣三は、日本保育学会を創設し、会長となりました。


倉橋惣三:(1882、12、28~1955、4、21静岡県出身)幼児教育の研究実践家で幼児教育の育成と改善に努力した。子どもの自発と心情を重視する自然主義的児童観によって、フレーベル主義を拝し、自由遊びを重んじました。我が国の「幼児教育の父」「日本のフレーベル」と呼ばれました。彼の墓碑には
「自ら育つものを育たせようとする心
 それが育ての心である
 世の中こんな楽しい心があろうか」
と記されています。

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02

保育原理の出題傾向として時として人物を深く掘り下げて問う問題も近年見られるようになりました。
著書にまつわる問題が出題される時もありそのような場合、難易度も高くなるような気がします。
実際、保育原理を学ぶ中で中々、著書までは確認出来ないのですが、この倉橋惣三は頻出傾向にありますので時間に余裕がある方は著書も重ねてチェックしてみるのもお勧めです。
時間に余裕のない方は、基本的な倉橋像を確認しておいてください。

A.正しい。適切な内容です。

B.正しい。倉橋惣三は「幼稚園真締」の中で「幼児の生活をさながらにして幼児の自己充実を図ることが幼児教育の本来のあり方である」と
述べています。

C.誤り。幼児教育書簡はペスタロッチです。

D.正しい。適切な内容です。

E.誤り。保育問題研究会を結成したのは城戸幡太郎です。倉橋は児童中心主義であるのに対して城戸は社会中心主義ですので対比して覚えておくと良いでしょう。

よって○○×○×となり選択肢が正解となります。

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03

正解は2です。

A 適切です。倉橋惣三は子どもが生活の中で自発生活を大切にし、幼児の生活を保障することの必要性を提唱しました。

B 適切です。上記に記したように、子どもが自発生活を送ることの必要性を説いた「生活を生活で生活へ」は倉橋惣三が遺した有名な言葉です。

C 『幼稚園雑草』『育ての心』は倉橋の著書ですが、『教育書簡』はペスタロッチの著書です。

D 適切です。1917(大正6)年、東京女子高等師範学校附属幼稚園の主事になり、後に日本の幼児教育界の理論的指導者となりました。

E 保育問題研究会を結成したのは、城戸幡太郎です。

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