保育士の過去問
平成27年(2015年)
児童家庭福祉 問41

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問題

保育士試験 平成27年(2015年) 児童家庭福祉 問41 (訂正依頼・報告はこちら)

次の組み合わせのうち、「用語」とそれに関わりの深い「人物」として正しい組み合わせを一つ選びなさい。
  • アタッチメント理論  ― オーエン(Owen, R.)
  • 整肢療護園          ― 高木 憲次
  • 福田会育児院        ― 留岡 幸助
  • 東京家庭学校        ― 石井 亮一
  • ハルハウス          ― ボウルビィ(Bowlby, J.)

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この過去問の解説 (3件)

01

1.
アタッチメント理論を提唱したのは、ジョン・ボウルビィです。オーエンはイギリスで最初の保育所を創設した人物です。
2.
整肢療護園は高木憲次によって開設された障害児施設なので、正解です。
3.
福田会育児院は貧児救済を目的として、東京茅場町の智泉院内に設立された育児施設です。留岡幸助は後述の東京家庭学校を創設しました。よって×です。
4.
東京家庭学校は感化院(現在の児童自立支援施設のこと) として、留岡幸助によって創設されました。石井亮一は日本最初の精神遅滞者施設滝乃川学園の創設者です。よって×です。
5.
ハルハウスはアメリカのセツルメント活動家であり、近代社会福祉の母といわれたジェーンアドムスによって創設された、当時世界最大規模のセツルメントハウスです。よって×です。
よって正解は、2となります。

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02

正解は2です。1から順に説明します。

1 不適切です。
 「アタッチメント(愛着)理論」は、ボウルビィにより提唱されたものです。子どもは、養育者や母親などに愛され情緒的安定を得ます。その経験は、社会生活を送る基盤となると唱えました。
 「オーエン」は、産業革命の中、子どもも当たり前に労働している状況を変えたいと思い、「性格形成新学院(性格形成学院)」を開設しました。

2 適切です。
 「高木憲次」は、1942(昭和17)年、肢体不自由児の療育の始祖ともよばれる「整肢療護園」を設立しました。この施設は、治療をしながら自立にむけての教育も同時になされ、療育という理念の基礎となりました。「療育」という造語を作り出したのも高木憲次です。

3 不適切です。
 「福田会育児院」は、1879(明治12)年、今川貞山ら臨済宗の僧達によって開院された児童養護施設・里親委託等を行う育児院です。
 「留岡幸助」は、1899(明治32)年、「家庭学校」を創設しました。現在の児童自立支援施設の原型となるこの施設は、留岡幸助の家族と非行少年達で共に生活し、家族のような絆を作り、更生した少年達を世に送りだしていました。

4 不適切です。
 「東京家庭学校」は、3の留岡幸助により創設された「家庭学校」の後の姿です。1948(昭和23)年、児童福祉法施行により児童養護施設となりました。更に、1952(昭和27)年に改称し、「東京家庭学校」となり、現在に至ります。
 「石井亮一」は、1891(明治24)年、震災孤児達を引き取り「弧女学院」を創設しました。その中に知的障害児を認め、渡米して障害児教育を学びます。帰国後、弧女学院改め、日本で初めての知的障害児施設となる「滝乃川学園」の誕生となりました。

5 不適切です。
 「ハルハウス」は、ジェーン・アダムズによりシカゴに設立されました。移民や貧民の救済、教育、労働改善など、最大規模のセツルメント施設となりました。
 セツルメント運動とは、貧困を改善するための民間活動です。教養のある者達で貧困地域に住み込み、貧困者の生活改善に努めました。
 「ボウルビィ」は、1で説明した通りです。

 よって、正解は2となります。

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03

高木憲次は、肢体不自由児の父ともいわれました。

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