保育士の過去問
令和元年(2019年)後期
保育原理 問16
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問題
保育士試験 令和元年(2019年)後期 保育原理 問16 (訂正依頼・報告はこちら)
次の【Ⅰ群】の語句と最も関連の深い人名を【Ⅱ群】から選び、それぞれを結びつけた場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。
【Ⅰ群】
A 二葉幼稚園
B 守孤扶独幼稚児保護会
C 東京女子師範学校附属幼稚園
D 家なき幼稚園
【Ⅱ群】
ア 関信三
イ 野口幽香
ウ 赤沢鍾美
エ 橋詰良一
オ 石井十次
【Ⅰ群】
A 二葉幼稚園
B 守孤扶独幼稚児保護会
C 東京女子師範学校附属幼稚園
D 家なき幼稚園
【Ⅱ群】
ア 関信三
イ 野口幽香
ウ 赤沢鍾美
エ 橋詰良一
オ 石井十次
- A:イ B:ウ C:ア D:エ
- A:イ B:ウ C:ア D:オ
- A:イ B:エ C:ウ D:ア
- A:ウ B:ア C:イ D:エ
- A:ウ B:イ C:エ D:オ
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この過去問の解説 (3件)
01
A 二葉幼稚園は、野口幽香が創設しました。
B 守孤扶独幼稚児保護会は、赤沢鍾美が創設しました。
C 東京女子師範学校附属幼稚園の初代園長が、関信三です。
D 家なき幼稚園は、橋詰良一が創設しました。
石井十次は、岡山孤児院を創設し、「児童福祉の父」と言われています。
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02
華族女子校付属幼稚園で助教授を務めていた野口幽香は、日本にまだ幼稚園の少なかった明治初期に当時としては珍しい私立幼稚園の先駆けとなる二葉幼稚園を設立しました。
Bの守孤扶独幼稚児保護会に関連の深い人物は、ウの赤沢鍾美です。
赤沢鍾美は1890年、新潟静修学校を設立しました。そして、当時は子どもがさらに幼い子どもの子守りをせざるを得ない状況だったので、子どもたちが学習に専念できる環境を整えるため、日本初の託児所を立ち上げました。これが後に守孤扶独幼稚児保護会となります。
Cの東京女子師範学校附属幼稚園に関連の深い人物は、アの関信三です。
関信三は、明治5年に東本願寺からイギリスに派遣されました。帰国後は東京女子師範の英語教師となり、その後明治9年に日本初の幼稚園である東京女子師範学校付属幼稚園開設の初代監事となります。主任保母の松野クララらと共に幼稚園経営に尽力しました。
Dの家なき幼稚園に関連の深い人物は、エの橋詰良一です。
橋詰良一は、1922年大阪で「家なき幼稚園」を設立しました。大自然の中で子供を遊ばせる露天保育を推奨し、園舎を作らず戸外で保育を行いました。
よって正解の組み合わせは1となります。
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03
A 二葉幼稚園は1900年に野口幽香によって設立されました。
B 守孤扶独幼稚児保護会は、明治23年に赤沢鍾美によって設立された日本で最初の保育園です。
C 東京女子師範学校附属幼稚園は、日本で最初の幼稚園であり、初代園長は関信三です。
D 家なき幼稚園は、橋詰良一が大阪府池田市に設立しました。
・以下は補足です。
石井十次は岡山孤児院を設立した人物で「児童福祉の父」とも呼ばれる人物です。
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