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理容師の過去問 第48回 文化論及び理容技術理論 問2

問題

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明治時代の服装に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。
   1 .
警官や鉄道員などの制服が洋装となった。
   2 .
女性の車掌(バスガール)が登場し、洋装の制服が採用された。
   3 .
海老茶袴(えびちゃばかま)が女学生の代名詞として流行した。
   4 .
宮中における大礼服や通常礼服が洋装と規定された。
( 第48回 理容師国家試験 文化論及び理容技術理論 問2 )
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この過去問の解説 (2件)

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明治維新後、文明開化で西洋文化を取り入れたことによって、和装のみだった服装が洋装に変化していきました。

選択肢1. 警官や鉄道員などの制服が洋装となった。

明治政府によって、警官や鉄道員など公的な職業の制服は洋装に定められていきました。

よって正しいです。

選択肢2. 女性の車掌(バスガール)が登場し、洋装の制服が採用された。

バスガールの制服が洋装になるのは、明治時代ではなく、大正時代からです。

よって誤りです。

選択肢3. 海老茶袴(えびちゃばかま)が女学生の代名詞として流行した。

高等女学校令が公布されたことにより、女学生の数が増えました。その際、制服として袴の着用が広がり、海老茶袴が流行しました。

よって正しいです。

選択肢4. 宮中における大礼服や通常礼服が洋装と規定された。

1872年に宮中の服装規定が定められ、これによって大礼服や通常礼服が洋装であることが正式となりました。

よって正しいです。

まとめ

洋装化が進められた明治時代ですが、洋服が高価なことや着慣れないことなどが要因となり、すぐには庶民に浸透しませんでした。職業の制服が洋装になることによって、徐々に庶民にも広がっていきます。

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大正時代が短いこともあり、明治時代から大正時代にかけては、出来事や情報がぎゅっと詰まっています。

明治か大正かがわからなくなりやすいものについては、先に大正をまず覚えるのも手かもしれません。

選択肢1. 警官や鉄道員などの制服が洋装となった。

宮中における大礼服や通常礼服が洋装と規定されのちに、警官や鉄道員の制服も洋装化されました。

選択肢2. 女性の車掌(バスガール)が登場し、洋装の制服が採用された。

これは1920年、大正9年の出来事です。

それ以降少しずつ、洋服が職業服として取り入れられるようになっていきました。

選択肢3. 海老茶袴(えびちゃばかま)が女学生の代名詞として流行した。

1899年、明治32年に高等女学校令が公布されたことで女学生が増加しました。

これを機に女学生の代名詞として、海老茶袴が流行しました。

選択肢4. 宮中における大礼服や通常礼服が洋装と規定された。

1872年、明治5年に規定されました。

これに続くかたちで、警官や鉄道員の制服も洋服化されました。

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