社会福祉士の過去問
第28回(平成27年度)
地域福祉の理論と方法 問34

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問題

社会福祉士試験 第28回(平成27年度) 地域福祉の理論と方法 問34 (訂正依頼・報告はこちら)

セツルメントに関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
  • 日本におけるセツルメント運動は、アダムス(Adams,A.)が岡山博愛会を設立したことに始まるとされている。
  • 中央慈善協会は、全国の主要な都市で展開されていたセツルメント運動の連絡・調整を図ることを目的として設立された。
  • 留岡幸助は、大崎無産者診療所を開設し、セツルメント運動に取り組んだ。
  • 大原孫三郎は、セツルメントの拠点としてキングスレー・ホールを開設した。
  • 賀川豊彦は、神戸の貧困地域でのセツルメントの実践を『貧乏物語』にまとめた。

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この過去問の解説 (3件)

01

正解は1です。

1.日本におけるセツルメント運動は、アダムスが1891年(明治24年)に岡山博愛会を設立したことに始まるとされています。

2.中央慈善協会は、セツルメント運動だけでなく、慈善事業の活動の連絡・調整を図ることを目的として設立されました。

3.留岡幸助は家庭学校を開設しました。大崎無産者診療所を開設したのは大栗清実です。

4.セツルメントの拠点としてキングスレー・ホールを開設したのは、片山潜です。大原孫三郎は、倉敷紡績をはじめする大原財閥を築き上げ、社会文化事業にも取り組んだ実業家ですが、キングスレー・ホールの開設とは関係ありません。

5.賀川豊彦が神戸の貧困地域でのセツルメントの実践をまとめたものは『死線を超えて』です。『貧乏物語』は河上肇によるものです。

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02

1〇 1891年アメリカから来日した宣教師アダムスによって設立されました。
2✖ 中央慈善協会は国内外の救済事業に関する連絡や調整を行うことを目的としていました。
3✖ 留岡幸助は感化院である家庭学校を設立しました。
4✖ キングスれー・ホールを開設したのは片山潜です。
5✖ 貧乏物語は河上肇によって出版されました。

参考になった数29

03

セツルメントとは貧困な人々を対象とした民間による活動です。

中央慈善協会(COS)と混合しないように気を付けましょう。

1〇 正しいです。アリス・ペティ・アダムスが日本初のセツルメント施設を設立したとされています。

2× セツルメント運動ではなく、慈善事業の連絡調整を行っていました。

3× 留岡幸助は「感化院」という非行少年を対象とした児童施設の創立者です。

4× キングスレー・ホールは片山潜(かたやません)が設立しました。

5× 『貧乏物語』の著者は河上肇(かわかみはじめ)です。

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