社会福祉士の過去問
第31回(平成30年度)
現代社会と福祉 問24
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問題
社会福祉士試験 第31回(平成30年度) 現代社会と福祉 問24 (訂正依頼・報告はこちら)
イギリスにおける福祉政策の歴史に関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
- エリザベス救貧法(1601年)により、全国を単一の教区とした救貧行政が実施された。
- 労役場テスト法(1722年)は、労役場以外で貧民救済を行うことを目的とした。
- ギルバート法(1782年)は、労役場内での救済に限定することを定めた。
- 新救貧法(1834年)は、貧民の救済を拡大することを目的とした。
- 国民保険法(1911年)は、健康保険と失業保険から成るものとして創設された。
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この過去問の解説 (3件)
01
1× 全国単一ではなく、それぞれの教区に基づく地方単位で、
救貧行政が実施されていました。
後に出てきた新救貧法により、全国を単一の教区とします。
2× 労役場テスト法は、貧民に対して「労役場で働く意志」を確認する法律です。
なので、労役場の中での貧民救済を目的としています。
3× ギルバート法は労役場以外で貧民救済を決めた法律です。
具体的な救済として、職業をあっせんや生活費の公的補助などがあります。
4× 貧民の救済を拡大することではなく、「縮小」が目的です。
国の負担抑制だけでなく、貧困は個人の努力不足で起きるものであり、
救済は逆効果になるという考えがありました。
5○ 国民保険法は健康保険と失業保険を制定した社会保障制度です。
そして、1942年の「ベヴァリッジ報告」から社会保障の充実が本格化していきます。
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02
2.× 労役場テストとは、労役場への収容を救済の条件とし、怠惰を戒めて有能貧民を労役場でテストし、労役場以外のすべての救済を抑制しようとしました。
3.× ギルバート法とは、就労の意思がない人は懲治院に収容させて機能を縮小し、健常な貧民は自宅で仕事を与えるといった方向転換がなされました。
4.× 新救貧法とは、エリザベス1世のときに制定された社会保障制度の始まりの法律であり、教区ごとの救貧税によって貧民を救済する制度です。
5.〇 国民保険法とは、1911年イギリスの自由党アスキス内閣が成立させた社会保障制度のことで、健康保険と失業保険を含む社会保険を実現させました。
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03
エリザベス救貧法においては、救貧を教区ごとに実施しており、全国単一で実施はしておりません。
2、不適切です。
労役場テスト法はナッチブル法とも呼ばれ、労役場以外での救貧を禁止する法律です。
労役場テスト法においては、労役場にすべての貧民を収容し、その人達の労働能力に応じた労働をさせていました。
加えて労役場では飲酒や無断外出を禁止するなど厳しい条件を課し、労役場へ入る事への嫌悪感を持たせる事で救貧の対象者を減らし、救貧費の抑制をしようとしていました。
3、不適切です。
ギルバート法においては、労役場に収容されるのは労働力の無いとされた人(病人等)のみとし、労働力のあるとされている人は居宅で救貧を行う事を定めました。
4、不適切です。
新救貧法では、救貧院以外での救貧を原則廃止し、労働力のある人に対しては労働を強制していました。
救貧の基準もそれまでよりも引き下げられ、居住場所も制限されたため、大きな反発を呼んだ法律と言われています。
5、適切な内容です。
国民健康保険法は、被用者と雇用主と国が掛け金をそれぞれ負担し、病気などになった際に医療を受ける際は、無料で受けられる事を定めました。
また、失業保険についても同様に三者で拠出した保険料から賄われ、一定の金額が失業者に支払われるという制度が確立されました。
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