問題
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次の文は、戦争や災害と慈善救済事業に関する記述である。( A )~( E )の語句が正しいものを○、誤ったものを×とした場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。
現在の児童福祉施設の源流となる民間慈善救済活動の先駆者たちは、公的制度が充実していなかった時代に、被災児童の救済のために多大な尽力をし、社会的使命を果たしてきた。
明治24(1891)年の濃尾地震を契機に、(A 糸賀一雄)は、わが国最初の(B 知的障害児)の施設である滝乃川学園の前身となる聖三一孤女学院を開設した。
(C 岡山孤児院)を創設し、(D 無制限収容)主義を提唱した石井十次は、明治37(1904)年には日露戦争による戦争孤児を、明治39(1906)年の東北地方の凶作の際には800余人の児童を受け入れた。
北川波津は、明治29(1896)年の東北三陸地方大津波の被災児を引き取ったことから、後に東京育成園となる施設を創設し、大正12(1923)年の(E 関東大震災)では300余人の被災児童らを受け入れた。
現在の児童福祉施設の源流となる民間慈善救済活動の先駆者たちは、公的制度が充実していなかった時代に、被災児童の救済のために多大な尽力をし、社会的使命を果たしてきた。
明治24(1891)年の濃尾地震を契機に、(A 糸賀一雄)は、わが国最初の(B 知的障害児)の施設である滝乃川学園の前身となる聖三一孤女学院を開設した。
(C 岡山孤児院)を創設し、(D 無制限収容)主義を提唱した石井十次は、明治37(1904)年には日露戦争による戦争孤児を、明治39(1906)年の東北地方の凶作の際には800余人の児童を受け入れた。
北川波津は、明治29(1896)年の東北三陸地方大津波の被災児を引き取ったことから、後に東京育成園となる施設を創設し、大正12(1923)年の(E 関東大震災)では300余人の被災児童らを受け入れた。
1 .
A○ B○ C○ D× E○
2 .
A○ B× C○ D○ E×
3 .
A× B○ C○ D○ E○
4 .
A× B○ C× D× E×
5 .
A× B× C○ D○ E×
( 保育士試験 平成24年(2012年) 養護原理 問138 )