保育士の過去問
平成23年(2011年)
児童福祉 問21
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問題
保育士試験 平成23年(2011年) 児童福祉 問21 (訂正依頼・報告はこちら)
次の文は、明治時代後期においてわが国の児童福祉の進展に貢献した歴史上の人物に関する記述である。( )にあてはまる人物名として正しいものを一つ選びなさい。
プロテスタントである( )は、1899(明治32)年、東京市郊外巣鴨に家庭舎方式の私立感化院「家庭学校」を設立した。( )は北海道空知集治監の教誨師としての体験と自らのアメリカ留学での研究から、犯罪者となる要因がその少年時代にあり、そこに着目して感化教育事業を行わない限り成人の犯罪は少なくならないとして、犯罪を犯した少年に良い環境と教育を与えることによって感化する感化院の設置を主張した。これらの活動が契機となって、1900(明治33)年、感化法が成立した。
プロテスタントである( )は、1899(明治32)年、東京市郊外巣鴨に家庭舎方式の私立感化院「家庭学校」を設立した。( )は北海道空知集治監の教誨師としての体験と自らのアメリカ留学での研究から、犯罪者となる要因がその少年時代にあり、そこに着目して感化教育事業を行わない限り成人の犯罪は少なくならないとして、犯罪を犯した少年に良い環境と教育を与えることによって感化する感化院の設置を主張した。これらの活動が契機となって、1900(明治33)年、感化法が成立した。
- 留岡 幸助
- 徳永 恕
- 倉橋 惣三
- 石井 十次
- 糸賀 一雄
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この過去問の解説 (3件)
01
1.留岡 幸助についての記述です。
監獄の教誨師として監獄改良の必要性を実感し、アメリカで感化教育を学びました。明治32(1899)年、非行少年の感化教育施設(現在の児童自立支援施設)として東京の巣鴨に家庭学校を創設。北海道家庭学校も設立しました。
2.徳永 恕 (とくなが ゆき)
貧しい家に育ち、東京府立第二高等学校在学中から国禁の書を読み、キリスト教の洗礼を受けました。二葉幼稚園(のち二葉保育園)保母となり、園の創設者野口幽香から<二葉の大黒柱>と信頼され、不就学児のための小学部を設置、死か堕落の岐路にあえぐ母と子を収容する「母の家」を創設しました。
3.倉橋 惣三
大正6(1917)年、東京女子高等師範学校付属幼稚園の主事となり、形式化したフレーベル主義を批判しました。生活を生活で生活へという誘導保育論を提唱し、子ども主体の保育を目指しました。「幼稚園保育法真諦」などの著書があります。
4.石井 十次
明治時代に活躍した社会福祉事業の先駆者です。明治20(1887)年、22歳のとき岡山孤児院を設立しました。濃尾地震、東北大飢饉の孤児収容に尽力するなど、孤児の救済とその教育に生涯をささげました。
5.糸賀 一雄
昭和21(1946)年、知的障害児や戦災孤児のための施設「近江学園」を設立しました。
この子らに世の光をあててやろうという哀れみではなく、この子らを世の光にという信念のもと、障害児福祉に多大な業績を残しました。
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02
文章の中に幾つかキーワードがありますので、そのキーワードと人物名を結びつける事が出来れば正解を導く事ができます。
まずは家庭学校:現在の児童自立支援施設です。感化院とは社会秩序や公序良俗に反する少年を対象とする入所施設です。
感化法:明治33年。不良行為をなしまたはなすおそれがある8歳以上16歳未満の少年を感化院に入所させ教化するための法律です。
これらのキーワードと結びつくのは留岡幸助です。
必ず人物名と施設名を確認しておきましょう。
よって選択肢1が正解となります。
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03
1 .留岡 幸助
キリスト教の洗礼を受け、同志社に学びながら監獄改良に目を向けるようになりました。アメリカ留学で感化監獄について学び、東京・巣鴨に感化院を設立。後に北海道に北海道家庭学校を設立し、非行少年の更生に尽力しました。
2 . 徳永 恕
日本の幼児教育者、社会事業家。
保育園の源流のひとつとされる二葉幼稚園(のちに二葉保育園と改称)の保母、園長、理事長として幼児教育・社会福祉に貢献し、女性初の名誉都民となりました。
3 . 倉橋 惣三
「日本のフレーベル」とも呼ばれた人物です。東京女子高等師範学校講師を経て、教授に就任。日本の幼児教育に海外の思想を取り入れ、子供たちを「教育するべき対象」ではなく、「内なる力を信じて自由に伸び伸び育つのをサポートする対象」と捉えました。
4 . 石井 十次
日本で最初に孤児院を創設した人物であり、「児童福祉の父」と言われています。生活に困窮する母親から子どもを預かったことをきっかけに孤児教育会を設立。キリスト教信仰に根ざした岡山孤児院を創設し、生涯を孤児救済に捧げました。
5 . 糸賀 一雄
知的障害のある子どもたちの福祉と教育に一生を捧げました。戦後日本の障害者福祉を切り開いた第一人者として知られ、「社会福祉の父」とも呼ばれています。障害児らは自ら光り輝く存在であり、そのことを支えていくという意味で遺した「この子らを世の光に」という言葉は有名です。
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