保育士の過去問
平成27年(2015年)
社会福祉 問62
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問題
保育士試験 平成27年(2015年) 社会福祉 問62 (訂正依頼・報告はこちら)
次の文は、社会福祉の歴史に関する記述である。適切な記述を一つ選びなさい。
- わが国では、生存権とその保障が最初に規定されたのは、「大日本帝国憲法」であった。
- わが国の救貧のための法律の始まりは、1946(昭和21)年公布の「旧生活保護法」であった。
- わが国の国民皆年金制度の始まりは、1959(昭和34)年に公布された「国民年金法」であった。
- 1964(昭和39)年公布の「母子及び寡婦福祉法」によって、父子家庭に対する福祉の措置も始まった。
- 社会福祉士が国家資格として初めて規定されたのは、2000(平成12)年公布の「社会福祉法」であった。
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この過去問の解説 (3件)
01
2は、わが国の最初の救貧のための法律は1874年に出された恤救規則のため不適切です。
3は、わが国の最初の国民皆年金制度は1959年に公布された国民年金法であり、この法律が日本の年金制度の基礎を担っています。そのためこれが適切です。
4は、1981年に母子福祉法は母子及び寡婦福祉法と改正され、さらにやっと父子家庭への措置も盛り込まれ、2014年に母子及び父子並びに寡婦福祉法に改められたため不適切です。
5は、社会福祉士が国家資格として規定されたのは1987年の社会福祉士及び介護福祉士法です。このためこれは不適切です。
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02
1 不適切です。
生存権とその保障は、「日本国憲法」の第25条に初めて規定されました。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とあります。これは社会福祉の理念といえます。
2 不適切です。
救貧のための法律の始まりは、1874(明治7)年に成立された「恤救(じゅっきゅう)規則」です。(恤とは、あわれむ、めぐむ、などの意味を持ちます。)救済は、血縁者で行うものとし、天涯孤独の者のみを対象として公費で救済していました。しかし、救済された者はごくわずかで、1929(昭和4)年、「救護法」の制定により廃止となりました。
「旧生活保護法」は、1946(昭和21)年に、「救護法」の廃止に伴い制定されました。
3 適切です。
高齢者の人口増加や、障害や死亡により不安定な生活を送る事となった場合、生活を安定させるために制定されました。2年後の1961(昭和36)年に施行されています。
4 不適切です。
1964(昭和39)年に公布されたのは「母子福祉法」であり、対象は母子家庭のみです。
1981(昭和56)年に寡婦(母子家庭の成人した子どもの母)も対象とし、「母子及び寡婦福祉法」と改称されます。
2002(平成14)年に一部改正され、名称はそのままに、父子家庭に対する福祉の措置も始まりました。その後、ひとり親家庭の福祉ニーズの拡大に合わせ、2014(平成26)年に、現在の「母子及び父子並びに寡婦福祉法」と改称されました。
5 不適切です。
1987(昭和62)年に公布された「社会福祉士及び介護福祉士法」に、初めて規定されました。名称独占の国家資格です。
よって、正解は3となります。
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03
1、不適切
生存権とその保証について規定されているのは日本国憲法の第25条です。
2、不適切
日本における公的扶助のベースは明治7年の恤救規則にあります。そこを経て昭和4年に制定された「救護法」が救貧のための法律のはじまりです。
3、適切
問題文の通りです。
4、不適切
1964年に公布されたのは「母子福祉法」です。その時点で、父子家庭に対する福祉の措置はありませんでした。
1981年に「母子および寡婦福祉法」に改正、その後2014年に「母子および父子並びに寡婦福祉法」に改正され、そこでようやく父子家庭についても措置の対象となりました。
5、不適切
社会福祉士が国家資格として規定されたのは、昭和62年に制定された「社会福祉および介護福祉法」です。
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