保育士の過去問
平成28年(2016年)前期
社会的養護 問30

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問題

保育士試験 平成28年(2016年)前期 社会的養護 問30 (訂正依頼・報告はこちら)

次の文は、欧米の社会的養護の歴史に関する記述である。適切な記述を○、不適切な記述を×とした場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。

A  ペスタロッチ(Pestalozzi, J.H.)は、内戦によって家を失った子どもたちの世話も引き受け、1798年に孤児院を営み、養育と教育を行った。
B  オーエン(Owen, R.)は、木綿紡績工場主であったが、1816年に自分の工場内に「性格形成学院」という幼児施設をつくり、成長段階に応じた教育を行った。
C  エレン・ケイ(Key, E.)は、1900年に著した『児童の世紀』で、20世紀こそ児童の世紀として子どもが幸せに育つことのできる平和な社会を築くべきであると主張した。
D  セオドア・ルーズベルト(Roosevelt, T.)のもと、1909年に第1回白亜館会議(ホワイトハウス会議)が開催され、「児童は緊急なやむをえない理由がない限り、家庭生活から引き離されてはならない」という趣旨の児童福祉の基本原理が示された。

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この過去問の解説 (3件)

01

正解は 1 です。
子どもの権利については、さまざまな人物が主張し、運動が巻き起こり、宣言や条約の制定につながっていきます。

各記述については以下の通りです。

A.ペスタロッチ
スイスの教育思想家、実践家。
フランス革命の影響を受け、
人権の保障と人間の開放を訴えました。
貧児・孤児の救済事業をや国民学校を開き、
幼児教育の実践の先駆者となりました。【○】

B.オーエン
イギリスの社会主義者。
労働者階級の子どもたちが過酷な労働を
強いられている現状に直面し、
幼児の工場労働の条件を改善するため、
工場法の制定に尽力しました。
また自身の工場内に造った性格形成学院は、
イギリスの幼児学校運動のはじまりとなりました。【○】

C.エレン・ケイ
労働や戦争の犠牲になった時代から、
子ども中心の教育がなされ、
子どもの権利が保障される時代へと主張しました。
平等に教育の機会が与えられるよう言及し、
児童福祉の思想に大きな影響を与えました。【○】

D.セオドア・ルーズベルト
アメリカ第26代大統領。
記述の通りです。【○】

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02

正解は1です。

A 適切です。ペスタロッチはフランス革命等の内戦によって家を失った子どもたちの世話も引き受け、1798年に孤児院を設立しました。

B オーエンはイギリスの社会主義者で、1816年に自分の工場内に「性格形成学院」という幼児施設をつくり、成長段階に応じた教育を行いました。

C エレン・ケイは1900年に著した『児童の世紀』で、20世紀こそ児童の世紀として子どもが幸せに育つことのできる平和な社会を築くべきであると主張しました。

D セオドア・ルーズベルトはアメリカ第26代大統領です。彼の政治のもと、1909年に第1回白亜館会議(ホワイトハウス会議)が開催され、「児童は緊急なやむをえない理由がない限り、家庭生活から引き離されてはならない」という趣旨の児童福祉の基本原理が示されました。

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03

A→正しいです。
ペスタロッチは生涯を貧民・孤児の救済、民衆教育に尽くしました。
著書に『隠者の夕暮』『白鳥の歌』があります。

B→正しいです。
オーエンは「性格形成新学院」を開設し、1歳から6歳までの幼児を預かる「幼児学校」を置きました。

C→正しいです。
エレン・ケイは婦人運動家であり、1900年に創刊した『児童の世紀』で「20世紀は児童の世紀」と述べました。

D→正しいです。
セオドア・ルーズベルトはアメリカの第26代大統領です。
保育士試験では頻出人物ではありません。

参考になった数11