保育士の過去問
平成30年(2018年)後期
教育原理 問24
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問題
保育士試験 平成30年(2018年)後期 教育原理 問24 (訂正依頼・報告はこちら)
次の【I群】の思想家についての記述と【II群】の人物を結び付けた場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。
【I群】
A 自宅の書斎の鈴の屋で、古典研究を行い、日本人らしさの探求をした。
B 松下村塾をひらき、儒学・史学・兵学を総合した人間教育を行った。
【II群】
ア 伊藤仁斎
イ 荻生徂徠
ウ 本居宣長
エ 吉田松陰
オ 緒方洪庵
【I群】
A 自宅の書斎の鈴の屋で、古典研究を行い、日本人らしさの探求をした。
B 松下村塾をひらき、儒学・史学・兵学を総合した人間教育を行った。
【II群】
ア 伊藤仁斎
イ 荻生徂徠
ウ 本居宣長
エ 吉田松陰
オ 緒方洪庵
- Aア Bエ
- Aイ Bエ
- Aイ Bオ
- Aウ Bイ
- Aウ Bエ
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この過去問の解説 (3件)
01
本居宣長は江戸時代の国学者です。主な著書に『古事記伝』があり、自宅の鈴屋に門人を集め講義をしていました。
Bはエの吉田松陰に関する記述です。
吉田松陰は日本の武士(長州藩)であり、思想家、教育者でもあります。私塾の「松下村塾」で、多くの若者に思想的影響を与えました。
よって正解は5の組み合わせです。
アの伊藤仁斎は、江戸時代前期の京都の儒学者・思想家です。古義学を首唱し、「古義堂」という塾を開き多くの門弟に教えました。
イの荻生徂徠は、江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者です。古文辞学を提唱し、「蘐園塾」を開きました。
オの緒方洪庵は、江戸時代後期の武士・医師・蘭学者で、日本の近代医学の祖といわれています。大阪にて蘭学塾「適塾」を開きました。
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02
A. ウ 本居宣長
三重県出身の日本古典研究家です。
自宅の書斎で「鈴の屋」を開きました。
「古事記」の研究を続け、「古事記伝」を執筆しました。
B. エ 吉田松陰
山口県出身の武士であり、思想家です。
「松下村塾」は、身分に関わらず誰にでも門戸が開かれており、
武士も町人も同じ場所で学びました。
よって、正解は5です。
ア 伊藤仁斎
江戸時代前期に活躍した、儒学者であり思想家です。
京都の堀川に、私塾「古義堂」を開きました。
イ 荻生徂徠
江戸時代中期に活躍した儒学者です。
「蘐園塾」を開いた人物です。
オ 緒方洪庵
江戸時代後期に活躍した医師(蘭学者)です。
大阪に私塾「適塾」を開きました。
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03
ア 伊藤仁斎は、江戸時代の前期に活躍した儒学者で孔子・孟子の原義に立ち返る「古義」を標榜し、京都に古義堂を開きました。
イ 荻生徂徠は江戸時代中期の儒学者・思想家です。日本橋に蘐園塾を開きました。
ウ 本居宣長は国学者で自宅の書斎を鈴の屋として開放しました。
エ 吉田松陰は山口県で松下村塾を開き、高杉晋作や伊藤博文など多くの塾生を輩出しました。
オ 緒方洪庵は蘭学者で医者であり、大阪に適塾を開き、塾出身者には福沢諭吉がいます。
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