保育士の過去問
平成31年(2019年)前期
教育原理 問25

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問題

保育士試験 平成31年(2019年)前期 教育原理 問25 (訂正依頼・報告はこちら)

次の【Ⅰ群】の記述と、【Ⅱ群】の人名を結びつけた場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。

【Ⅰ群】
A  子育てについて具体的なたとえ話をまじえながら、庶民にもわかりやすく説いた。また、「知行合一説」を唱え、陽明学の普及に努めた。
B  階級や僧俗を問わず、一般庶民の子弟にも門戸を開いた「綜芸種智院」を創設した。
C  「人の性は本善」であるという性善説の立場であった。「和俗童子訓」を著した。

【Ⅱ群】
ア 貝原益軒
イ 中江藤樹
ウ 空海
エ 聖徳太子
オ 大原幽学
  • ( A )ア  ( B )エ  ( C )イ
  • ( A )イ  ( B )ア  ( C )エ
  • ( A )イ  ( B )ウ  ( C )ア
  • ( A )イ  ( B )エ  ( C )オ
  • ( A )オ  ( B )ウ  ( C )ア

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この過去問の解説 (3件)

01

正解は3です。

A 「知行合一説」とは、中国の明のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつで、知(知ること)と行(行うこと)は同じ心の良知(人間に先天的に備わっている善悪是非の判断能力)から発する作用であり、分離不可能であるとする考えのことをいいます。この考えは、江戸時代初期の陽明学者である中江藤樹や幕末の頃の陽明学者や維新の志士たちに大きな影響を与えました。

B 綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)は、天長5年12月15日(828年1月23日)、空海が庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的に、藤原三守から譲り受けた京都の左京九条の邸宅に設置した私立学校といわれています。

C 、江戸時代、福岡在住の儒学者貝原益軒によって書かれた教育論であり、『養生訓』、『大和本草』などと並んで彼の代表的な著作です。

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02

答えは3です。

ア:貝原益軒は、江戸時代の本草学者、儒学者です。主な著書に『大和本草』『和俗童子訓』などがあります。

イ:中江藤樹は江戸時代初期の陽明学者です。彼の唱えた「知行合一説」とは、知識と行為は一体であるという、陽明学の思想です。

ウ:空海は平安初期の僧であり、真言宗の開祖です。綜芸種智院は、般庶民への教育や各種学芸の教育を目的として設置されました。

エ:聖徳太子は飛鳥時代の皇族です。573年に、四箇院という施設を建て、仏教の精神に基づき人々の救済にあたったと言われています。

オ:大原幽学は江戸時代後期の農政学者です。「換え子教育」という教育法を提唱しました。

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03

正解は3です。

A イ 
中江藤樹は江戸時代初期の儒学者で、日本における陽明学派の始祖といわれています。
知行合一説は知識と行為は一体であり、実践や体験によって知識を確認することを重んじる学説です。

B ウ 
空海は平安時代初期の僧で真言宗の開祖です。
綜芸種智院は空海が庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的に設置しました。

C ア 
貝原益軒は江戸前中期の儒学者・本草学者です。
我が国初のまとまった教育所といわれる「和俗童子訓」を著し、発達段階に即した随年教法を示しました。

エ 聖徳太子は飛鳥時代の政治家で、理想主義的な哲人政治を志向し、全ての人に等しく教育を説きました。

オ 大原幽学は江戸時代の農政学者で世界初の農業協同組合(先祖株組合)を設立しました。
また他人に託する教育、換え子制度を奨励しました。

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