保育士の過去問
令和元年(2019年)後期
保育原理 問5

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問題

保育士試験 令和元年(2019年)後期 保育原理 問5 (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、ある著書の一部である。これを読んで、問いに答えなさい。

「幼稚園や保育所もかかる意味で、もとより学校であるが、それが子どもの生活環境を改造していくための教育的計画であるからには、何よりもまず子どもの自然である利己的生活を、共同的生活へ指導していく任務を負わねばならない。
したがって幼稚園、保育所の保育案は「社会協力」ということを指導原理として作製されなければならないもので、幼稚園と保育所との教育はこの原理によって統一されるのである。」

この文章の著者として、正しいものを一つ選びなさい。
  • 倉橋惣三
  • 城戸幡太郎
  • 東基吉
  • 坂元彦太郎
  • 橋詰良一

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この過去問の解説 (3件)

01

正解は2です。

城戸幡太郎(きど まんたろう)は、『幼児教育論』の中で、「社会協力」を指導原理として、幼稚園、保育所の教育の統一を図ることを提唱しました。

倉橋惣三(くらはしそうぞう)は、『育ての心』を著しています。
「日本のフレーベル」ともいわれ、「自らうちに育つ力」を大切にし、子どもが自発的に自由で遊ぶ中で「自己充実」を目指す教育方針です。
倉橋惣三はよく出てくるのでおさえておきましょう。

東基吉(ひがしもときち)は、日本の最初の体系的保育論の書『幼稚園教育法』を著しました。

坂元 彦太郎(さかもと ひこたろう)は、『教育の新構図』や『倉橋惣三・その人と思想 倉橋惣三文庫』などの書籍があります。

橋詰良一は、「家なき幼稚園の主張と実際」を著し、「家なき幼稚園」の設立者です。

参考になった数72

02

正解は2です。

問題文の文章は城戸幡太郎の『幼児教育論』の一部です。城戸幡太郎は、日本の心理学者です。自らの著書の中で幼稚園、保育所の教育の統一を図ることを提唱しました。


以下はその他の人物の解説になります。
・倉橋惣三は自発的に遊び自己の充実を目指す「誘導保育」を重視した人物です。日本のフレーベルとも呼ばれ、日本の幼児教育に大きな影響を与えました。

・東基吉は明治から昭和にかけての日本の教育学者で、日本の最初の体系的保育論の書『幼稚園教育法』の著者です。

・坂元彦太郎は日本の教育・保育学者で旭出学園 (特別支援学校) 校長などを勤めました。主な著書には『教育の新構図』や『倉橋惣三・その人と思想 倉橋惣三文庫』があります。

・橋詰良一は「家なき幼稚園」の設立者であり固定化された「家」から子どもを開放することを目指しました。

参考になった数25

03

設問の文章は、城戸幡太郎の『幼児教育論』の中に記されている一部となります。

選択肢1. 倉橋惣三

倉橋惣三は、日本の児童心理学者で、日本の幼児教育の先駆けになった人物です。児童中心主義を提唱し、有名な著書として『育ての心』が挙げられます。

選択肢2. 城戸幡太郎

城戸幡太郎は、日本の教育心理学者で、保育問題の研究会の会長として知られています。

社会中心主義提唱し、子どもをその子の生きている社会との関りから捉えようとし、生活力のある子供の育成を提唱しました。

幼稚園も保育所も、社会協力を指導原理としていくように統一されていくべきだと主張しました。

選択肢3. 東基吉

東基吉は、日本の教育者です。日本で最初の体系的保育論書である、「幼稚園教育法」の著者です。フレーベルから影響を受けた人物です。

選択肢4. 坂元彦太郎

坂元彦太郎は、日本の教育・保育学者です。「学校教育法」の草案作成に携わった人物で、著書には『幼児教育の構造』があります。

選択肢5. 橋詰良一

橋詰良一は、「家なき幼稚園」を設立した人物です。園舎を造らずに戸外で保育を行うことが大切と考え、大自然の中で子供を遊ばせる露天保育を推奨しました。

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