保育士の過去問
令和3年(2021年)後期
保育原理 問6

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問題

保育士試験 令和3年(2021年)後期 保育原理 問6 (訂正依頼・報告はこちら)

次の【Ⅰ群】の記述と、【Ⅱ群】の人名を結びつけた場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。

【Ⅰ群】
A  高等女学校在学中に二葉幼稚園を知り卒業後保姆となり「二葉の大黒柱」と呼ばれた。二葉保育園と改称された同園の分園を設立し、保育にとどまらず社会事業に尽力した。特に「母の家」はわが国初の母子寮として知られる。
B  さまざまな事情で教育を受けられない貧しい子どもたちに私塾を開いた。また生徒が子守りから解放されて勉強できるように、生徒の幼い弟妹を校内で預り世話をした。

【Ⅱ群】
ア  赤沢鍾美
イ  野口幽香
ウ  徳永恕

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この過去問の解説 (3件)

01

正解は5です。

A:ウ(徳永恕・とくながゆき)

→大正、昭和の社会実業家で、二葉保育園の2代目の園長。不就学児童のための小学部を設置したり、戦後は戦災母子や戦災孤児の収容等に尽力しました。

 

B:ア(赤沢鍾美・あかざわあつとみ)

→明治~昭和の教育者で、妻の仲子と共に新潟静修学校(私立)を設立しました。併設された保育所は日本初の保育所で守孤扶独幼稚児保護会といいます。

イの野口幽香(のぐちゆか)は二葉幼稚園の創始者です。東京女子師範学校付属の幼稚園の保母でしたが、東京麹町に森島峰と共に、貧民のための二葉幼稚園を設立しました。

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02

正解は「5」です。

A:ウ  B:アが入ります。

Aはウの徳永恕(とくながゆき)です。徳永恕は日本で最初の保育園と呼ばれる施設(二葉幼稚園)の保母や園長として活躍し幼児教育や福祉に貢献しました。

Bはアの赤沢鍾美(あかざわあつみ)です。赤沢鍾美は小学校で勉強を教えながら新潟静修学校を設立しました。併設した付属保育所は日本初の保育所です。

イの野口幽香(のぐちゆか)は二葉幼稚園を設立した人物です。二葉幼稚園は1916年に森嶋峰とともに設立しました。その後幼稚園から二葉保育園と名称を変えました。

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03

正解は 5 です。

A:ウ  B:アが入ります。

Aは(ウ)の徳永恕(とくながゆき)についての文章です。

徳永恕は日本で最初の保育園と呼ばれる「二葉幼稚園」の保母や園長として活躍し、幼児教育や福祉の発展に貢献しました。

Bは(ア)の赤沢鍾美(あかざわあつみ)についての文章です。

赤沢鍾美は小学校で勉強を教えながら新潟静修学校を設立しました。併設した付属保育所は日本初の保育所です。

※表記が違うだけで、現在は「保育園」と「保育所」に違いはありません。

(イ)の野口幽香(のぐちゆか)は1916年に森嶋峰と(ウ)の徳永恕が働いていた二葉幼稚園」を設立した人物です。その後二葉幼稚園は幼稚園から二葉保育園へと名称を変えました。

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