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保育士の過去問 令和3年(2021年)後期 教育原理 問25

問題

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次の【Ⅰ群】の記述と、【Ⅱ群】の人物を結びつけた場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。

【Ⅰ群】
A  愛知県出身。欧州を数年旅した後、1875(明治8)年に東京女子師範学校の創設とともに英語教師として招かれる。翌年、東京女子師範学校附属幼稚園の開設に伴い初代監事に任じられた。
B  愛媛県出身の心理学者・教育学者。1936(昭和 11)年に保育問題研究会を結成し、その会長に就任。研究者と保育者の共同による幼児保育の実証的研究を推進した。
C  兵庫県出身。東京女子師範学校卒業後、同校附属幼稚園の保母となる。その後、華族女学校附属幼稚園で保母をしながら、1900(明治33)年に二葉幼稚園を設立した。

【Ⅱ群】
ア  松野クララ
イ  野口幽香
ウ  倉橋惣三
エ  関信三
オ  城戸幡太郎
   1 .
A:ア  B:ウ  C:イ
   2 .
A:ウ  B:エ  C:ア
   3 .
A:ウ  B:エ  C:イ
   4 .
A:エ  B:オ  C:ア
   5 .
A:エ  B:オ  C:イ
( 保育士試験 令和3年(2021年)後期 教育原理 問25 )
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この過去問の解説 (3件)

38

正解は「5」です。

A:エ  B:オ  C:イ

Aはエの関信三です。教育者兼僧侶であり、フレーベル教育を活かし日本初の幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園の初代監事を務めました。

Bはオの城戸幡太郎です。日本における保育の理論的主導者であり、著書には「幼児教育論」などがあります。

Cはイの野口幽香です。二葉幼稚園は1900年に森嶋峰とともに設立しました。その後幼稚園から二葉保育園と名称を変えました。

ア松野クララは明治時代の幼児教育者です。東京女子師範学校附属幼稚園の最初の主席保母です。

ウ倉橋惣三は大正時代から昭和にかけて幼児教育の指導を行いました。主な著書には「幼稚園雑草」「幼稚園保育法真諦」「育ての心」があります。

付箋メモを残すことが出来ます。
10

正解は5です。

A:エ 関信三

関信三は明治時代の教育者で東本願寺から派遣され渡英し、帰国後、東京女子師範学校の英語教師を経て、1876年に日本初の幼稚園、東京女子師範学校附属幼稚園の初代監事(園長)となりました。日本での幼稚園の普及に貢献しました。

B:オ 城戸幡太郎

城戸幡太郎は大正~昭和で活躍した教育心理学者で、倉橋惣三の児童中心主義に対し、社会中心主義を唱えました。

C:イ 野口幽香

野口幽香はクリスチャンで森島峰と共に、寄付金を募って二葉幼稚園を設立し、貧困家庭の支援に努めました。

ア:松野クララは日本初の幼稚園、東京女子師範学校附属幼稚園の主任保母です。

ウ:倉橋惣三は大正~昭和の教育者、児童中心主義者です。

7

正解は5です。

A:エ

1876年に日本初の幼稚園、東京女子師範学校附属幼稚園の初代監事(今でいう園長)となった関信三は、僧侶であったことやフレーベル教育に傾倒していたことでも知られています。

B:オ

1936(昭和 11)年に保育問題研究会を結成し、その会長に就任した城戸幡太郎は教育心理学者として倉橋惣三の児童中心主義に対し、社会中心主義を唱えた人物です。

C:イ

1900(明治33)年に二葉幼稚園を森島峰と共に、二葉幼稚園を設立した野口幽香は、貧困家庭の支援に尽力した人物としても知られています。

アの松野クララは、日本初の幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園の主任保母です。

ウの倉橋惣三は、大正時代から昭和にかけて幼児教育の指導を行った児童中心主義者です。

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