保育士の過去問
令和3年(2021年)後期
社会福祉 問60

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問題

保育士試験 令和3年(2021年)後期 社会福祉 問60 (訂正依頼・報告はこちら)

次の文は、イギリスの福祉政策等である。年代の古い順に並べた場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。

A  『社会保険および関連サービス』(通称『ベヴァリッジ報告:Beveridge Report』)の提出
B  慈善組織(化)協会(COS)の設立
C  「救貧法」(Poor Law)の制定
  • A → C → B
  • B → A → C
  • B → C → A
  • C → A → B
  • C → B → A

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この過去問の解説 (4件)

01

1601年  エリザベス救貧法 イギリスの福祉の歴史の最初です。

内容は、働ける貧困者に向けて、働けない貧困者に向けて、扶養する者がいない児童と分けて、それぞれの施設を設けました。

1722年 労働場テスト法  労働場内で怠ける者が出てきた為、過酷な労働に耐えられる者だけを救済することにしました。

1782年 ギルバート法  労働場テスト法によって過酷な労働から逃げる者が増えた為、院外救済の措置をとります。

1795年 スピーナムランド法  低所得者に補助をする救済措置を出します。このあたりから、院外救済に力をいれます。

1833年 工場法  規制の対象を、児童、女性、成人男性へと広げ、広く福祉が受けられるようになってきます。

1834年 新救済法  院外救済に力を注いだことで、労働者の意欲が下がり、貧困税負担が重くなり納税者が貧困になってしまいます。これにより、院内救済を原則とし、極めて貧しい人のみ救済することになります。つまり、初期のエリザベス救済法のころに戻ってしまうのです。

一方に力を注ぐと、他方に問題が起きてしまうのです。難しいです。

1869年 慈善組織協会COS 設立 

1884年 トインビーホール設立

1900年ころ ブースの貧困調査 ラウントリーの貧困調査

1911年 国民保険法  健康保険と失業保険が生まれる 日本の現在では当たり前の保険ですが、出来上がるまでにたくさんの歴史をたどってきたことがわかります。

1942年 ベヴァリッジ報告 ゆりかごから墓場まで

この流れから

C➤B➤Aの順が正しいことが分かります。

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02

答えは5(C→B→A)です。

A 1942年 ベヴァリッジ報告  

  イギリスの社会保障制度に関する報告書のことです

B 1869年 慈善組織(化)協会(COS)の設立

 慈善組織協会とは、ボランティアや募金などの慈善事業を行う協会のことです。当時イギリスでは貧困が深刻化していましたが、”必要な人に必要な支援を”をモットーにCOSが設立されました。

C 1601年 救貧法(Poor Law)の制定

  エリザベス救貧法は、ホームレスを禁止し、住居や職が無い人へ住居、職を提供しました。また、お金のある地域から税金を徴収し、お金のない地域へ金銭的な支援を行う提案をしました。この救貧法は、社会保障制度の始まりと言われています。

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03

イギリスの福祉政策の問題です。

一つ一つの政策を覚えるのではなく、歴史の流れとして学んだ方が覚えやすいのでオススメです。

 

選択肢1. A → C → B

順番がすべて違います。

イギリスの福祉制度の始まりは、Cの貧民法から始まります。

貧民法は、エリザベス1世の時の1601年に制定され、教区ごとの救貧税によって貧民を救済する内容でした。

よって、Cが最初になります。

選択肢2. B → A → C

順番がすべて違います。

Bの慈善組織(化)協会(COS)の設立は、1869年ロンドンにおいて設立されました。

当時活動していた慈善団体が救済を重複してしまうことがあったことを背景に、救済の重複の防止や連絡調整を図る役割を目的として組織化されました。

 

選択肢3. B → C → A

Cの貧民法の次にBの慈善組織(化)協会(COS)が来るので、B、Cの順序が違います。

Aの『社会保険および関連サービス』(通称『ベヴァリッジ報告)は1942年に提出されました。

経済学者で政治家のウィリアム・ベヴァリッジが示した最低生活保障の原則、包括性の原則、均一拠出均一給付の原則などを打ち出し、第二次世界大戦後のイギリスにおける社会保障制度の土台となりました。

 

選択肢4. C → A → B

AとBの順序が違います。

Bの慈善組織(化)協会(COS)の設立ですが、その頃は、貧困の原因は個人の問題(生活や習慣)とされ、「救済に値する貧民」を対象とする選別主義的なものでした。

 

選択肢5. C → B → A

正しい組み合わせです。

Cの貧民法の内容は、教区ごとに救貧税をもうけてそれを基金とし、働くことのできない老人や身体障害のある人にはお金を支給してその生活を援助し、働く能力のある貧民に対しては原料を与えて就労させました。

また、貧民の子弟には技術を教えるために徒弟に出すこと奨励しました。

まとめ

イギリスの福祉政策の歴史を追って、学んでいくと内容や背景も理解しやすく、頭に入ります。

この問題に出てくる政策は覚えておきましょう。

 

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04

イギリスの福祉政策については、1601年の「救貧法」にはじまり、その法律で出た不備を解決するためにどんどん新たな法律や施設がもうけられます。流れを理解すると覚えやすいでしょう。

選択肢1. A → C → B

Aは1942年に報告された報告書です。「ゆりかごから墓場まで」といわれるイギリスの社会保障制度について書かれたものでした。

選択肢2. B → A → C

Bは1869年に設立されたものです。

慈善組織協会というのは、慈善事業を行う協会です。「必要な人に必要な支援を」ということをモットーにしていました。

選択肢3. B → C → A

Cは1601年に制定されたものです。

社会保障制度の始まりと言われており、貧困者を分けてそれぞれに適切な施設を設立しました。

選択肢4. C → A → B

Aが1942年で、Bが1869年なので、AとBの順番が違います。

選択肢5. C → B → A

この選択肢が正解です。

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