大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問58 (日本史B(第5問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問58(日本史B(第5問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

日本史探究部に所属している高校生のハジメさんは、「明治はじめて物語」というテーマで研究発表をすることになった。ハジメさんが発表のために作成した次の発表原稿を読み、後の問いに答えよ。(資料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

発表原稿
〈洋服の始まり〉
1858(安政5)年に締結された条約に基づき、その翌年には横浜・長崎・( ア )で欧米諸国との貿易が始まった。a 日本と欧米諸国の貿易が進展するに伴い、西洋文明の生活様式も徐々に日本社会へ浸透していった。
例えば、永井荷風は『洋服論』のなかで「日本人そもそも洋服の着始めは旧幕府仏蘭西(フランス)式歩兵の制服にやあらん」と指摘しており、明治時代になると洋服を着る習慣は、( イ )から次第に広まった。

〈銀行の始まり〉
明治新政府が樹立されると、生活様式だけでなく、様々な社会制度も西洋文明を模範として再編されていった。
例えば、貨幣制度の整備は政府の重要課題であったため、1872(明治5)年にアメリカの制度を参考にしてb 国立銀行条例が定められ、翌年に第一国立銀行が発足した。
もっとも、江戸時代にも三貨の両替や為替の発行を業務とする商人は存在しており、日本の銀行が西洋文明の影響だけを受けて登場したわけではない。c 明治時代に新たに登場した生活様式や社会制度、文化活動のなかには、西洋文明の影響を受けつつ、同時に日本の伝統を引き継いでいるものがいくつも存在する

下線部cに関して述べた次の文a~dについて、正しいものの組合せを、後のうちから一つ選べ。

a  フェノロサは日本の伝統美術を再評価し、その復興に尽力した。
b  洋学者の加藤弘之は、他の洋学者と政教社を組織して、表面的な西洋化を批判した。
c  ドイツ民法を模範として編纂(へんさん)され、1890年に公布された民法は、日本の伝統を破壊すると批判され、施行延期となった。
d  明治政府は、旧暦(太陰太陽暦)を廃して太陽暦を採用したが、都市部に比べて農村部では旧暦使用の慣習が長く残った。
  • a・c
  • a・d
  • b・c
  • b・d

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この過去問の解説 (1件)

01

正しい組み合わせは、「a・d」です。

 

明治の近代化は西洋の影響を受けつつ、日本固有の伝統も残しました。

 

【各文の検討】

a 

フェノロサはアメリカ出身の美術史家で、明治十年代に東京大学で教えながら日本美術を高く評価しました。

彼は法隆寺の仏像や宮内省図書寮の古画を調査し、岡倉覚三(天心)らとともに古典美術保護に尽力しました。
⇒明治の洋学者が西洋の価値観を持ち込みながら、逆に日本の伝統の再発見を促した好例です。

 

b 

政教社を創立したのは三宅雪嶺や井上円了らです。

加藤弘之はドイツ流法学を紹介し、進化論的国家観を唱えた人物で、政教社の中心ではありません。
⇒記述は人物と団体の組合せが誤りです。

 

c 

1890年公布の旧民法は、主にフランス法(ボアソナード草案)を基礎にしました。

「ドイツ民法を模範」とするのは誤りです。

また旧民法は公布後多数の批判を受け、施行は延期され、ドイツ法を参考に修正した現行民法(1898年施行)へつながります。
⇒法典の出典と経緯が食い違っています。

 

d 

明治五年(一八七二)に旧暦を廃し太陽暦(グレゴリオ暦)を導入したことで、都市部の役所・学校は新暦へ即時移行しましたが、農村や祭礼では旧暦行事が長く続きました。
⇒国の制度変更と地域の慣習が併存したという実情を正しく述べています。

選択肢1. a・c

誤りです。

選択肢2. a・d

正しい組み合わせです。

選択肢3. b・c

誤りです。

選択肢4. b・d

誤りです。

まとめ

明治の「はじめて」は西洋化と並行して伝統の見直し・温存も進みました。

・美術面:フェノロサらが古典文化を保護し、日本美術復興の土台を築く

・生活面:中央政府は太陽暦を導入したが、地方の年中行事には旧暦が残り、社会の多層性が示された
 

このように、新制度が導入されても一斉に旧慣が消えるわけではなく、西洋的なものと日本固有のものが共存しながら変化していったことが、明治期の大きな特徴です。

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