公立学校教員の過去問
令和元年度(令和2年度採用)
共通問題 問8
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問題
公立学校教員採用選考試験(教職教養) 令和元年度(R2年度採用) 共通問題 問8 (訂正依頼・報告はこちら)
我が国の近現代における中等教育に関する記述として適切なものは、次の1〜5のうちのどれか。
- 明治5年に、文部省は学制を発布し、その翌年には全国に256の中学校を設置するなど、中等教育の普及のための奨励策を積極的に講じた。
- 明治19年に、初代文部大臣の井上毅は諸学校令の一つとして中学校令を制定し、小学校令及び帝国大学令と併せて、小学校・中学校・帝国大学という学校体系を確立させた。
- 明治32年に、中学校令が改正されるとともに高等女学校令、実業学校令が制定され、中等教育が、中学校、高等女学校及び実業学校の三種類に大別され制度化された。
- 昭和18年に、高等学校令が公布されると、それまでの各中等教育機関は高等学校として制度的に統一され、高等教育及び実業教育を一括して行う教育機関とされた。
- 昭和23年に、総合制・小学区制・男女共学という三原則に基づいた中等教育機関として、中等教育学校が発足した。
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この過去問の解説 (3件)
01
1:全国で、8校の大学、256 校の中学校、5万校をこえる小学校を設置する計画であったようですが、実際にはそこまで設置することはできなかったようです。そのため1は誤りです。
2:初代文部大臣は井上毅ではなく「森有礼」です。そのため2は誤りです。
3:問題文の通りのため、3は正解です。
4:昭和18年に公布されたのは、高等学校令ではなく「中等学校令」です。そのため4は誤りです。
5:総合制・小学区制・男女共学という三原則に基づいた教育機関は、中等教育学校ではなく「新制高等学校」です。そのため5は誤りです。
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02
1:「学制百年史 二 近代教育制度の創始」(文部科学省)によると、全国で8校の大学、256 校の中学校、5万校をこえる小学校を設置する計画でしたが、実現には至らなかったため、1は誤りです。
2:初代文部大臣は井上毅ではなく「森有礼」ですので、2は誤りです。
※「井上毅」は明治26年に第2次伊藤内閣において文部大臣を務め、学制改革を目標とした小学校就学の増加や実業教育の盛り込みを政策に掲げた人物です。
3:問題文の内容は正しいため、3は正答です。
4:昭和18年に公布されたのは「中等学校令」ですので、4は誤りです。
※「高等学校令」
第一次高等学校令は、明治27年に中学校令に基づいて設立された高等中学校を、高等学校に改組することを目的に施行されました。
その後、第二次高等学校令は大正8年に高等学校の内容の拡大や充実のために施行されました。
5:総合制・小学区制・男女共学という三原則に基づく教育機関は「新制高等学校」ですので、5は誤りです。
※「中等教育学校」は、前期中等教育と後期中等教育を一貫して実施する学校で、日本では「中高一貫教育」として知られています。
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03
2. 初代文部大臣は「井上毅」ではなく「森有礼」となります。森有礼は明治18年に内閣制度が創設されたのを機に文部大臣に就任し、学校制度全般にわたる改革を断行し、基本となる近代学校の体系をつくりあげました。
設問の井上毅は森有礼の後の文部大臣となります。
3. 正しい記述となります。
4. 昭和18年に公布されたのは、「高等学校令」ではなく「中等学校令」となります。「中等学校令」はこれまで中等教育機関として別々に発展していた中学校、高等女学校、実業学校を中等学校体系にまとめ、中等教育学校の運営を明らかにした規程となります。
5. 総合制・小学区制・男女共学という三原則に基づく教育機関は「中等教育機関」ではなく、「新制高等学校」となります。よって、選択肢5は誤りとなります。また、「新制高等学校」は昭和22年に施行された学校教育法に基づく高等学校を言います。
従って、正答は3となります。
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