公立学校教員の過去問
令和4年度(令和5年度採用)
共通問題 問10
このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。
問題
公立学校教員採用選考試験(教職教養) 令和4年度(R5年度採用) 共通問題 問10 (訂正依頼・報告はこちら)
我が国の近代における教育制度に関する記述として適切なものは、次の1〜5のうちのどれか。
- 明治4年、文部省が設置され、明治5年に教育令が公布された。全国を学区に分け、学区は学校の設置単位であるとともに、地方教育行政組織でもあった。
- 明治12年、学制が太政官布告として公布された。一般行政単位に即して教育行政を行うこととし、町村を基礎に小学校を設置することとした。
- 明治19年、帝国大学令、師範学校令、小学校令、中学校令及び諸学校通則が公布された。各学校種別の規程が整備され、我が国の学校制度の基礎が確立された。
- 明治26年、文部大臣に就任した森有礼は教育改革を実施し、実業学校令や専門学校令などの制定により学校制度を整備した。
- 昭和16年、国民学校令が施行された。小学校は国民学校に改編され、初等科6年、高等科3年の9年間が義務就学期間とされた。
正解!素晴らしいです
残念...
この過去問の解説 (3件)
01
正解は3です。
1→教育令が公布されたのは明治5年ではなく、明治12年です。
2→太政官布告が公布されたのは明治12年ではなく、明治5年です。
4→森有礼が文部大臣に就任したしたのは明治26年ではなく、明治18年です。
5→国民学校令の義務教育期間は、初等科6年、高等科2年の合計8年間です。
参考になった数9
この解説の修正を提案する
02
教育制度に関しては、似たような言葉も多く
混乱してしまうこともありますが、
この設問では
時期・内容について(特に数字部分)
よく確認していきましょう。
誤りです。
文部省設置…明治4年、
教育令の公布…明治12年
となります。
ちなみに
「全国を学区に分け、
学区は学校の設置単位であるとともに、
地方教育行政組織でもあった」のは、
明治5年に公布された「学制」です。
誤りです。
明治12年に公布されたのは「教育令」です
正しいです。
誤りです。
森有礼の文部大臣就任…明治18年
誤りです。
国民学校令の施行…昭和16年
国民学校令の義務就学期間
…初等科6年、高等科2年の合計8年
参考になった数7
この解説の修正を提案する
03
正解は3です。
1.文部省が設置されたのは明治4年ですが、明治5年に公布されたのは学制です。
後半の説明も学制についての正しい説明ですので、『教育令』が誤った記述です。
2.明治12年に太政官布告として公布されたのは教育令です。
学区制を廃止し町村を小学校設置の基礎とした、というのも教育令についての正しい説明ですので、『学制』の部分が誤った記述です。
3.正しいです。
明治19年、帝国大学令・師範学校令・小学校令・中学校令・諸学校通則の5勅令が公布されました。
4.森有礼が初代文部大臣に就任したのは、明治18年です。
『明治26年』は誤った記述です。
5.国民学校は初等科6年、高等科2年の8年間が義務就学期間とされました。
『高等科3年の9年間』という記述が誤りです。
参考になった数6
この解説の修正を提案する
前の問題(問9)へ
令和4年度(令和5年度採用)問題一覧
次の問題(問11)へ