理容師の過去問 第44回 文化論及び理容技術理論 問2
この過去問の解説 (2件)
1945~1950年代の服装とは戦後すぐのファッションです。
約10年程度の間の話ですが、かなり変遷がありますので別の年代と勘違いしないように覚えていきましょう。
この説明文は正しいため、こちらは誤りです。
第2次世界大戦後(1945年9月2日以降)もしばらくの間は、物資不足などを理由に国民服やもんぺ、復員服と呼ばれる軍服を着ている人が多かったです。
この説明文は正しいため、こちらは誤りです。
1947年のパリコレにてクリスチャン・ディオールがロングスカートを発表しました。
それに伴い、日本でもロングスカートが流行しました。
この説明文は誤っているため、こちらが正解です。
1920年代の東京に西洋文化の影響を受けた先端的な若い男女、いわゆるモダンガール(モガ)とモダンボーイ(モボ)が現れました。
この説明文は正しいため、こちらは誤りです。
1950年代、ダンスホールに通う男性から、腰回りからお尻はゆったりしており、裾にかけて細くなるズボン、いわゆるマンボズボンが流行しました。
第2次世界大戦の影響で国民服・もんぺ等の着用が義務付けられた為、洋服は戦後のイメージをもつかもしれませんが、戦前にもモガ・モボのように洋服をおしゃれに着こなしていた人がいました。
正解は3です。
昭和15年(1940年)に国民服令で男性の標準服に制定された「国民服」や、女性の「もんぺ」、「復員服」と呼ばれた軍服は、戦後しばらくは多くの国民が着用していました。
1は正しい説明です。
昭和22年(1947年)にクリスチャンディオールが発表した「ニュールック」が世界中で流行し、日本でもロングスカートが流行りました。
2も正しい説明です。
戦前(大正から昭和初期)西洋文化の影響を受けた当時としては最先端の若い男女「モボ」(モダンボーイ)「モガ」(モダンガール)が流行しました。
3は間違った説明です。
1950年代にラテン音楽の「マンボ」が人気となり、それを演奏するバンドマンのファッションを真似たパンツ「マンボズボン」が流行しました。
4は正しい説明です。
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