理容師の過去問
第45回
文化論及び理容技術理論 問2

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問題

第45回 理容師国家試験 文化論及び理容技術理論 問2 (訂正依頼・報告はこちら)

大正時代の服装に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。
  • 都会の男性会社員の間で背広上下が普及した。
  • 女性の車掌(バスガール)が登場し、洋装の制服が採用された。
  • 女学生の制服として、セーラー服とスカートが考案された。
  • 軍服をモデルに国民服がつくられた。

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この過去問の解説 (3件)

01

正解は4です。

明治後半にイギリスのラウンジスーツが「背広」として紹介されましたが、庶民(会社員)の間で流行するのは大正時代になってからです。

1は正しい説明です。

大正8年に現在の市バスにあたる「東京市街乗合自動車」が開業し、翌年には女性車掌(バスガール)が採用され、ジャケットにプリーツスカートの洋装の制服が話題になりました。

2も正しい説明です。

女子学生の制服として定番のセーラー服は、大正9年の京都平安女学院が最初だと言われています。

3も正しい説明です。

軍服をモデルにして作られた国民服は、昭和15年の「国民服令」で国民(男子)の標準服に制定されました。

4は誤った説明です。

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02

大正時代の服装に関する記述について、以下のように解説します。

選択肢1. 都会の男性会社員の間で背広上下が普及した。

正しい。大正時代に入ると、男性のビジネススーツ(背広)が広く普及し、都市部の会社員などの間で一般的になりました。

選択肢2. 女性の車掌(バスガール)が登場し、洋装の制服が採用された。

正しい。大正時代には、女性の車掌(バスガール)が登場し、洋装の制服が採用されました。これは女性の社会進出を象徴する一例です。

 

選択肢3. 女学生の制服として、セーラー服とスカートが考案された。

正しい。大正時代には、女学生の制服としてセーラー服とスカートのスタイルが広まりました。これが後に日本の学生服の標準スタイルとなりました。

 

選択肢4. 軍服をモデルに国民服がつくられた。

誤り。軍服をモデルにした国民服は、第2次世界大戦後の昭和時代に登場しました。大正時代には、まだそのような国民服は存在しませんでした。

まとめ

「軍服をモデルに国民服がつくられた。」が誤りです。

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03

文化論に関する問題です。

選択肢1. 都会の男性会社員の間で背広上下が普及した。

・・・・正しい文章です。男性の洋服が日常的な仕事着として普及しました。

選択肢2. 女性の車掌(バスガール)が登場し、洋装の制服が採用された。

・・・・正しい文章です。1920年(大正9年)に採用されました。

選択肢3. 女学生の制服として、セーラー服とスカートが考案された。

・・・・正しい文章です。1918年(大正7年)に考案されました。

選択肢4. 軍服をモデルに国民服がつくられた。

・・・・誤った文章です。1940年(昭和15年)の国民服令で軍服をモデルに国民服が作られました。

まとめ

よって、【軍服をモデルに国民服がつくられた。】が誤った文章であり、この問の正解になります。

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