理容師の過去問
第46回
文化論及び理容技術理論 問2

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問題

第46回 理容師国家試験 文化論及び理容技術理論 問2 (訂正依頼・報告はこちら)

1945年から1950年代の髪型に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。
  • 髪をきれいに分ける手間がいらないことからヨーロッパに広がったオールバックが伝えられた。
  • アメリカ兵の髪型をまねた短髪のGI刈が取り入れられた。
  • 作家の石原慎太郎の髪型をまねた慎太郎刈が若者の間に流行した。
  • 女優のオードリー・ヘップバーンのヘップバーンカットが流行した。

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この過去問の解説 (2件)

01

1945年から1950年代の髪型に関する問題です。

選択肢1. 髪をきれいに分ける手間がいらないことからヨーロッパに広がったオールバックが伝えられた。

オールバックは、第一次世界大戦中(1914〜1918年・大正時代)に戦場できれいに髪を分ける手間がいらないことからヨーロッパで流行したものが日本にも伝えられました。

これが誤った説明です。

選択肢2. アメリカ兵の髪型をまねた短髪のGI刈が取り入れられた。

GI刈は、アメリカ兵に多い短髪のヘアスタイルで朝鮮戦争(1950~53年)後に若者の間で流行しました。

これは正しい説明です。

選択肢3. 作家の石原慎太郎の髪型をまねた慎太郎刈が若者の間に流行した。

慎太郎刈は、作家の石原慎太郎が芥川賞を受賞(1955年)した当時の髪型を真似たスタイルです。

これは正しい説明です。

選択肢4. 女優のオードリー・ヘップバーンのヘップバーンカットが流行した。

ヘップバーンカットは、映画「ローマの休日」(1954年)主演のオードリーヘップバーンのヘアスタイルです。

これは正しい説明です。

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02

この問題は、1945年から1950年代にかけて日本で流行した髪型に関する知識を問うものです。当時の日本の髪型には、戦後の社会情勢や海外からの影響が強く現れています。

選択肢1. 髪をきれいに分ける手間がいらないことからヨーロッパに広がったオールバックが伝えられた。

オールバックは確かに髪を後ろに撫でつけるスタイルですが、「髪をきれいに分ける手間がいらないことからヨーロッパに広がった」という記述は正確ではありません。オールバックはもともと欧米で人気があった髪型であり、戦後に日本でも広まりましたが、その理由が「手間がかからないため」というのは誤解を招く表現です。この選択肢が誤りです。

選択肢2. アメリカ兵の髪型をまねた短髪のGI刈が取り入れられた。

戦後、日本ではアメリカ兵の影響を受けた短髪スタイルの「GI刈」が流行しました。このスタイルは、さっぱりとした短髪が特徴で、当時の男性に広く受け入れられました。この選択肢は正しい記述です。

選択肢3. 作家の石原慎太郎の髪型をまねた慎太郎刈が若者の間に流行した。

石原慎太郎の髪型をまねた「慎太郎刈」は、1950年代後半から1960年代にかけて若者の間で流行しました。特に石原慎太郎が若者文化の象徴的存在であったことから、彼のスタイルが人気を集めました。この選択肢は正しい記述です。

選択肢4. 女優のオードリー・ヘップバーンのヘップバーンカットが流行した。

オードリー・ヘップバーンは1950年代を代表する女優であり、彼女の髪型やファッションは多くの女性に影響を与えました。「ヘップバーンカット」という名称で具体的な髪型を指すことは少ないですが、彼女の影響でショートカットやピクシーカットが流行したのは事実です。この選択肢も正しい記述です。

まとめ

1945年から1950年代にかけて、戦後の日本においてさまざまな髪型が流行しましたが、その中でも海外の影響が顕著に見られました。今回の問題では、オールバックに関する記述が誤りであり、このスタイルが広まった背景を正確に理解することが重要です。

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