理容師 過去問
第51回
問41 (文化論及び理容技術理論 問1)

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問題

理容師試験 第51回 問41(文化論及び理容技術理論 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

次のうち、明治時代の髪型に関する記述に該当しないものはどれか。
  • 丸刈の兵士たちの勇ましさが好まれ、男性の間で丸刈が流行した。
  • 婦人束髪会が設立され、女性の髪型を従来の日本髪から簡単な洋風の束髪に改めようという束髪運動が始まった。
  • 丸刈と角刈を折衷したようなブロースカットが男性の間で流行した。
  • マーセルアイロンでウェーブをつけて、耳が隠れるようにセットした耳隠しが女性の間で流行した。

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この過去問の解説 (2件)

01

耳隠しは明治時代の流行ではありません。マーセルアイロンでウェーブをつけ、耳を覆う「耳隠し」が広く流行したのは大正時代です。

したがって、この選択肢が「明治時代の髪型」に該当しない内容です。

選択肢1. 丸刈の兵士たちの勇ましさが好まれ、男性の間で丸刈が流行した。

明治6年に徴兵令が公布されると、軍人の短髪・丸刈りが一般にも広まり、男性の髪が短く整える方向へ大きく変わりました。

軍隊の影響で丸刈りが受け入れられていった流れは、明治期の変化として妥当です。 

選択肢2. 婦人束髪会が設立され、女性の髪型を従来の日本髪から簡単な洋風の束髪に改めようという束髪運動が始まった。

明治18年(1885年)に婦人束髪会が結成され、女性に洋風の束髪(そくはつ)を勧める運動が展開されました。

これは明治の出来事で、日本髪から束髪へという近代化の流れを示す代表例です。 

選択肢3. 丸刈と角刈を折衷したようなブロースカットが男性の間で流行した。

ブロース(ブロースカット)は理容業界で用いられる短髪スタイルの名称で、角刈り系の代表格です。

明治に短髪文化が定着する流れの中で生まれた短髪の系譜として位置づけられ、理容の学習・競技でも基礎的スタイルとして扱われます。明治期の男性短髪の流行という文脈に合致します

選択肢4. マーセルアイロンでウェーブをつけて、耳が隠れるようにセットした耳隠しが女性の間で流行した。

誤り(明治ではない)です。マーセルウェーブ自体は19世紀末に欧州で考案されましたが、日本で耳隠しとして大きく流行したのは大正時代です。

明治の代表的な女性の変化は束髪の普及であり、耳隠しの流行は時代が違います。 

まとめ

明治は断髪の広がりで男性が短髪化し、女性は婦人束髪会の運動などで束髪が普及しました。

いっぽう、マーセルウェーブの耳隠しが女性に広まるのは大正時代です。

したがって、この問題では耳隠しの記述が明治時代には該当しない内容になります。

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02

この問題で押さえておくべきポイントは、明治時代の髪型の流行と時代的特徴です。
明治時代は「断髪令」や「束髪運動」によって男性は丸刈り・断髪、女性は日本髪から洋風束髪へと変化しました。対して「ブロースカット」や「マーセルウェーブ」はもっと後の時代(大正~昭和)に流行した髪型です。

選択肢1. 丸刈の兵士たちの勇ましさが好まれ、男性の間で丸刈が流行した。

徴兵令で兵士が丸刈となり、それが一般男性にも広がりました。

選択肢2. 婦人束髪会が設立され、女性の髪型を従来の日本髪から簡単な洋風の束髪に改めようという束髪運動が始まった。

1880年代に束髪運動が盛んになり、女性も洋風化が進みました。

選択肢3. 丸刈と角刈を折衷したようなブロースカットが男性の間で流行した。

ブロースカットは戦後にアメリカから入ってきた男性ヘアスタイルで、明治時代には流行していません。

選択肢4. マーセルアイロンでウェーブをつけて、耳が隠れるようにセットした耳隠しが女性の間で流行した。

マーセルウェーブはフランスのマルセルが考案した技術(1872年頃)ですが、日本で流行するのは大正~昭和にかけてです。

まとめ

明治時代の髪型は「男性=丸刈・断髪」「女性=束髪運動」が代表的です。ブロースカットやマーセルウェーブ(耳隠し)は明治ではなく、大正~昭和に流行したものなので誤りです。

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