理容師 過去問
第51回
問43 (文化論及び理容技術理論 問3)
問題文
1960年以降の服装に関する次の組合せのうち、誤っているものはどれか。
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問題
理容師試験 第51回 問43(文化論及び理容技術理論 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
1960年以降の服装に関する次の組合せのうち、誤っているものはどれか。
- ヒッピーファッション ――― ジーンズスタイル
- アンドレ・クレージュ ――― ミニスカート
- 石津謙介 ――― フォークルック(フォークロアファッション)
- 山本耀司(やまもとようじ)・川久保玲(かわくぼれい) ――― 黒の衝撃
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この過去問の解説 (2件)
01
この問題で押さえておくべきポイントは、1960年以降のファッション史における代表的な人物とスタイルの結びつきです。誰がどの流行を作り出したかを整理しておくと解きやすいです。
1960年代後半のヒッピームーブメントでは、ジーンズ、Tシャツ、フリンジや花柄など自由で反体制的な服装が流行しました。
フランスのデザイナー、アンドレ・クレージュは1960年代にミニスカートを発表し、世界的な流行を生みました。
石津謙介は日本の「アイビールック」の生みの親であり、VANジャケットを通じて学生・若者に広めました。
フォークロアファッションは民族衣装や手工芸的要素を取り入れた1970年代の流行であり、石津謙介とは結びつきません。
1980年代初頭、パリコレで黒を基調とした前衛的デザインを発表し、「黒の衝撃」と呼ばれました。
1960年代以降の代表的ファッションは、
ヒッピー=ジーンズスタイル
クレージュ=ミニスカート
石津謙介=アイビールック(誤りはここ)
山本耀司・川久保玲=黒の衝撃
と整理して覚えると混乱しません。
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02
石津謙介―――フォークルック(フォークロアファッション)が誤りです。
石津謙介は日本にアイビールックを広めた人物で、民族調のフォークロアとは結び付きません。
適切です。
1960年代後半、若者文化の象徴としてジーンズやフレアパンツ、タイダイなどが広まりました。
ヒッピーの基本にジーンズがあり、この組合せは合います。
適切です。
クレージュは1960年代にミニスカートとスペースエイジ風デザインで注目されました。
(ミニはマリー・クヮントも有名ですが、この組合せも正しいです)。
不適切です。
石津謙介はVAN JACKETの創業者で、1960年代の日本にアイビールック(アメリカ東海岸の伝統的な学生風)を定着させた中心人物です。
特徴はボタンダウンシャツ、紺ブレザー、チノパン、ローファーなどで、民族調のフォークロアとは方向性が異なります。
適切です。
1980年代初頭のパリで、黒を基調にした前衛的で非対称なコレクションを発表し、黒の衝撃と呼ばれました。
1960年以降の服装では、ヒッピーとジーンズ、クレージュとミニ、山本・川久保と黒の衝撃は正しい結び付きです。
いっぽう、石津謙介はアイビールックであり、フォークロアとは結び付きません。
誤っている組合せは石津謙介―――フォークルックです。
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