保育士の過去問
令和5年(2023年)前期
子ども家庭福祉 問2

このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。

問題

保育士試験 令和5年(2023年)前期 子ども家庭福祉 問2 (訂正依頼・報告はこちら)

次の文は、子ども家庭福祉に尽力した人物の紹介である。正しい人物を一つ選びなさい。

濃尾大震災で親を失った少女を引き取り「孤女学院」を開設した。その中に知的障害を持つ少女がいたことから障害児教育に専念するために「滝乃川学園」と改称している。
  • 留岡 幸助
  • 石井 亮一
  • 高木 憲次
  • 石井 十次
  • 川田 貞治郎

次の問題へ

正解!素晴らしいです

残念...

この過去問の解説 (2件)

01

日本の子ども家庭福祉の礎を築いた人物に関する問題です。

保育士試験に出てくる重要人物は、その功績をキーワードで覚えましょう。

では、問題を見てみましょう。

問題文のキーワードは、「孤女学院」、「知的障害」、「障害児教育」、「滝乃川学園」です。

このキーワードに当てはまる人物は、「石井亮一」です。

【 石井 亮一 】

◎ キーワード

孤女学院

・滝乃川学園

・知的障害児

・日本の知的障害児者教育・福祉の父

◎ 功績

地震で親を失い、孤児となった少女たちを引き取って1891(明治24)年に孤女学院を開設。孤児の中に知的障害を持つ子がいたことがきっかけで、知的障害児のための教育・福祉に力を注ぐようになりました。

孤女学院はのちに名称を変え、知的障害児教育・福祉の専門機関である滝乃川学園になりました。

石井の功績は高く評価され、「日本の知的障害児者教育・福祉の父」と呼ばれています。

選択肢1. 留岡 幸助

誤りです。

【 留岡 幸助 】

◎ キーワード

・北海道

・家庭学校

・感化院

・児童自立支援施設

◎ 功績

キリスト教の洗礼を受けたのち、北海道で教誨師となった留岡幸助は、そこで囚人の実態を知り、非行少年の感化事業を志し、アメリカで感化教育を学びました。

1899(明治32)年、非行少年の民間感化院(のちの教護院、現在の児童自立支援施設)である「家庭学校」を東京に創設。のちに北海道家庭学校も設立しました。

留岡らの活動がきっかけとなり、1900年に感化法が成立しました。

選択肢2. 石井 亮一

正解です。

選択肢3. 高木 憲次

誤りです。

【 高木 憲次 】

◎ キーワード

肢体不自由児の父

整肢療護園

◎ 功績

整形外科医でレントゲン研究の第一人者。日本の肢体不自由児教育の創始者であり、「日本の肢体不自由の父」と呼ばれています。

1942(昭和17)年、日本初の肢体不自由児の療育施設である整肢療護園(現:心身障害児総合医療療育センター整肢療護園)を創設しました。

選択肢4. 石井 十次

誤りです。

【 石井 十次 】

◎ キーワード

・岡山孤児院

・児童福祉の父

小舎生

・家族制度

◎ 功績

1887(明治20)年、岡山市に日本初の私設孤児院「岡山孤児院」創設し、「児童福祉の父」と呼ばれています。

家族的な雰囲気での養育を重視し、イギリスのバーナードホーム(孤児院)にならって、少人数に分けて小舎制で養育する家族制度を実施するとともに、「委託制度」(現在の里親制度)も試みました。

選択肢5. 川田 貞治郎

誤りです。

川田 貞治郎

◎ キーワード

・藤倉学園

◎ 功績

1919(大正8)年に日本で4番目の知的障害者施設である「藤倉学園」を創設。同学園での教育・保護の理論と方法を「教育的治療学」と命名しました。

ちなみに、藤倉学園の運営には、石井亮一が理事として参画していました。

(ウィキペディアおよび大空社出版サイトを参照)

まとめ

石井亮一 と 石井十次 を混同しないように気を付けましょう。

覚えることが多くて大変ですが、人物に関する問題は、キーワードさえ確実に覚えていれば自動的に答えが決まるものが多いので、頑張ってください!

インターネット上では、保育士試験によく出題される人物を語呂合わせで覚える方法がたくさん紹介されています。そういった情報を利用するのも一つの手かもしれませんね。

参考になった数33

02

子ども家庭福祉に尽力した人物についての問題です。

問題文からキーワードを探します。

キーワードは、「孤女学院」、「知的障害」、「滝乃川学園です。

これより、石井 亮一(いしい りょういち)であることがわかります。

「滝乃川学園」は1891年に石井亮一によって東京北区に創設された日本最初の知的障害者のための社会福祉施設です。現在は東京都国立市に移転されています。石井亮一は「知的障害者教育・福祉の父」と呼ばれた教育者です。

(ウィキペディア参照)

ここで残りの選択肢の人物について、功績をみておきましょう。

●留岡 幸助(とめおか こうすけ)

1899年に東京巣鴨に「家庭学校」をつくりました。日本の社会福祉の先駆者で、感化院教育の実践家です。非行少年を対象とした児童福祉施設です。個性を重視した人間形成のために尽力しました。(ウィキペディア参照)

●高木 憲次(たかぎ のりつぐ)

大正から昭和後期にかけての整形外科医です。日本の「肢体不自由児の父」と呼ばれました。「夢の楽園教療所」を提唱し,日本初の肢体不自由療育施設である整肢療護園(現:心身障害児総合医療療育センター整肢療護園)の創設者です。(ウィキペディア参照)

●石井 十次(いしい じゅうじ)

1887年に岡山市に「岡山孤児院」という孤児院を創設しました。明治期の慈善事業家で、「児童養護の父」と呼ばれています。コッテージ・システム(小舎制)という教育方針をとっており、十二則がありました。 (ウィキペディア参照)

●川田 貞治郎(かわだ ていじろう)

第二次世界大戦以前に民間が創設した精神薄弱児入所施設の一つで1919年、東京府大島に設立された財団法人藤倉学園において、設立時から彼が死去するまで常任理事・学園長として施設運営にあたった。教育と保護の理論ならびに方法を教育的治療学と命名し、形成ならびに体系化しました。   (大空社出版サイト参照)

選択肢1. 留岡 幸助

誤りです。

留岡 幸助は、1899年に東京巣鴨に「家庭学校」をつくりました。日本の社会福祉の先駆者で、感化院教育の実践家です。非行少年を対象とした児童福祉施設です。個性を重視した人間形成のために尽力しました。(ウィキペディア参照)

選択肢2. 石井 亮一

正解の選択肢です。

「滝乃川学園」は1891年に石井 亮一によって東京北区に創設された日本最初の知的障害者のための社会福祉施設です。現在は東京都国立市に移転されています。石井 亮一は「知的障害者教育・福祉の父」と呼ばれた教育者です。

(ウィキペディア参照)

選択肢3. 高木 憲次

誤りです。

大正から昭和後期にかけての整形外科医です。日本の「肢体不自由児の父」と呼ばれました。「夢の楽園教療所」を提唱し,日本初の肢体不自由療育施設である整肢療護園(現:心身障害児総合医療療育センター整肢療護園)の創設者です。(ウィキペディア参照)

選択肢4. 石井 十次

誤りです。

1887年に岡山市に「岡山孤児院」という孤児院を創設しました。明治期の慈善事業家で、「児童養護の父」と呼ばれています。コッテージ・システム(小舎制)という教育方針をとっており、十二則がありました。 (ウィキペディア参照)

選択肢5. 川田 貞治郎

誤りです。

第二次世界大戦以前に民間が創設した精神薄弱児入所施設の一つで1919年、東京府大島に設立された財団法人藤倉学園において、設立時から彼が死去するまで常任理事・学園長として施設運営にあたった。教育と保護の理論ならびに方法を教育的治療学と命名し、形成ならびに体系化しました。   (大空社出版サイト参照)

まとめ

子ども家庭福祉に尽力した人物について、氏名と主な業績を整理しておきましょう。

参考になった数10