大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問17 (世界史B(第3問) 問3)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問17(世界史B(第3問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史上の人々の交流や社会の変化について述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。

あるクラスで、明治期の政治小説に描かれた国際情勢についての授業が行われている。

先生:明治期の日本では政治小説と呼ばれる新しい形式の文学が流行しました。その代表作である『佳人之奇遇(かじんのきぐう)』は、作者の東海散士こと柴四朗(しばしろう)の、当時としてまだ珍しかった海外経験が盛り込まれていました。
小野:例えばどういう経験が反映されているのですか。
先生:柴は1870年代末よりアメリカ合衆国に経済学を学ぶために留学していました。そこでの出会いや思い出が、ヨーロッパの貴族の令嬢や民族運動の女性闘士といったこの小説のヒロインの設定に活かされていると考えられています。
鈴木:そのヒロインたちは実在するのですか。
先生:実在したかどうかは分かっていません。ただヒロイン以外では、実際に会ったことが確認されている人物が登場します。例えば柴は1886年より、大臣秘書官として欧州視察に同行します。その途上で、( ア )と呼ばれる革命の時期に活躍したハンガリー出身のコシュートに会っています。また1881年にエジプトで民族運動を起こしたものの鎮圧され、セイロン島に流されていた( イ )にも面会しています。どうして柴は、こういう人たちに会いたかったのだと思いますか。
渡辺:どちらもヨーロッパの大きな国と戦った人たちですね。1880年代というと、領事裁判権を含む、日本に有利な( ウ )を結んだ後の時期である一方、( エ )に向け、西洋列強と交渉が進められる時期ですね。柴は、ヨーロッパの大国に対抗した人々に共感し、その行動から何かを学びたかったのかもしれませんね。
先生:恐らくそういうことだと思います。このように、明治期には国境を越えた人の移動や様々な人との交流が盛んになり、そこから得られた情報が日本の政治思想の形成に大きな影響を与えていくことになります。

前の文章中の空欄(ウ)に入れる条約名と、空欄(エ)に入れる語句との組合せとして正しいものを、次のうちから一つ選べ。
  • ウ ― 日朝修好条規  エ ― 南樺太の領有
  • ウ ― 日朝修好条規  エ ― 不平等条約の改正
  • ウ ― 日清修好条規  エ ― 南樺太の領有
  • ウ ― 日清修好条規  エ ― 不平等条約の改正

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この過去問の解説 (1件)

01

この問題は、明治期の日本外交の流れをふまえて、空欄(ウ)に入る「日本に有利な条約」と、空欄(エ)に入る「その後に続く日本の外交上の課題」を正しく対応させるものです。

 

 

 

【空欄(ウ)に入る条約について】

渡辺さんの発言「日本に有利な( ウ )を結んだ後の時期」という部分から、これは1880年代よりも前に締結されたもので、日本に有利だったと評価される条約である必要があります。

 

①日朝修好条規(1876年)

・日本と朝鮮との間で結ばれた最初の条約。

・日本側が優位な立場で結んだ内容であり、朝鮮に領事裁判権を認めさせ、関税自主権を奪うなど不平等性が高い

→日本にとっては「有利」だったため、文脈に合います。

 

②日清修好条規(1871年)

・日本と清(中国)との間の対等な条約。

・領事裁判権は相互に認め合い、不平等とは言えない内容。

→「日本に有利だった」とは言いにくく、文脈には合いません。

 

したがって、空欄(ウ)に入るのは「日朝修好条規」が最も適切です。

 

 

 

【空欄(エ)に入る語句について】

次の文で「西洋列強と交渉が進められる時期ですね」とあることから、これは日本が不平等条約の改正に取り組んでいた時期であると読み取れます。

 

①南樺太の領有

・南樺太は1905年、日露戦争後のポーツマス条約で獲得。

→問題文の時期(1880年代)とは合いません。

 

②不平等条約の改正

・明治政府は1870年代から本格的に改正交渉に乗り出し、1880年代も交渉が継続していた。

→まさにこの時期に該当し、文脈にも合っています。

 

したがって、空欄(エ)に入るのは「不平等条約の改正」が適切です。

選択肢1. ウ ― 日朝修好条規  エ ― 南樺太の領有

誤りです。

選択肢2. ウ ― 日朝修好条規  エ ― 不平等条約の改正

正しいです。

選択肢3. ウ ― 日清修好条規  エ ― 南樺太の領有

誤りです。

選択肢4. ウ ― 日清修好条規  エ ― 不平等条約の改正

誤りです。

まとめ

柴四朗が欧州を訪れた1880年代は、日本が不平等条約の改正を目指して列強と交渉していた時期であり、その直前には朝鮮と日本に有利な日朝修好条規を結んでいます。

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