大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問16 (世界史B(第3問) 問2)
問題文
あるクラスで、明治期の政治小説に描かれた国際情勢についての授業が行われている。
先生:明治期の日本では政治小説と呼ばれる新しい形式の文学が流行しました。その代表作である『佳人之奇遇(かじんのきぐう)』は、作者の東海散士こと柴四朗(しばしろう)の、当時としてまだ珍しかった海外経験が盛り込まれていました。
小野:例えばどういう経験が反映されているのですか。
先生:柴は1870年代末よりアメリカ合衆国に経済学を学ぶために留学していました。そこでの出会いや思い出が、ヨーロッパの貴族の令嬢や民族運動の女性闘士といったこの小説のヒロインの設定に活かされていると考えられています。
鈴木:そのヒロインたちは実在するのですか。
先生:実在したかどうかは分かっていません。ただヒロイン以外では、実際に会ったことが確認されている人物が登場します。例えば柴は1886年より、大臣秘書官として欧州視察に同行します。その途上で、( ア )と呼ばれる革命の時期に活躍したハンガリー出身のコシュートに会っています。また1881年にエジプトで民族運動を起こしたものの鎮圧され、セイロン島に流されていた( イ )にも面会しています。どうして柴は、こういう人たちに会いたかったのだと思いますか。
渡辺:どちらもヨーロッパの大きな国と戦った人たちですね。1880年代というと、領事裁判権を含む、日本に有利な( ウ )を結んだ後の時期である一方、( エ )に向け、西洋列強と交渉が進められる時期ですね。柴は、ヨーロッパの大国に対抗した人々に共感し、その行動から何かを学びたかったのかもしれませんね。
先生:恐らくそういうことだと思います。このように、明治期には国境を越えた人の移動や様々な人との交流が盛んになり、そこから得られた情報が日本の政治思想の形成に大きな影響を与えていくことになります。
前の文章中の空欄(イ)の人物について述べた文あ・いと、その人物が主導した民族運動を鎮圧した国X・Yとの組合せとして正しいものを、後のうちから一つ選べ。
(イ)の人物について述べた文
あ エジプト総督に就任した。
い 「エジプト人のためのエジプト」というスローガンを掲げた。
民族運動を鎮圧した国
X イタリア
Y イギリス
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問16(世界史B(第3問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
あるクラスで、明治期の政治小説に描かれた国際情勢についての授業が行われている。
先生:明治期の日本では政治小説と呼ばれる新しい形式の文学が流行しました。その代表作である『佳人之奇遇(かじんのきぐう)』は、作者の東海散士こと柴四朗(しばしろう)の、当時としてまだ珍しかった海外経験が盛り込まれていました。
小野:例えばどういう経験が反映されているのですか。
先生:柴は1870年代末よりアメリカ合衆国に経済学を学ぶために留学していました。そこでの出会いや思い出が、ヨーロッパの貴族の令嬢や民族運動の女性闘士といったこの小説のヒロインの設定に活かされていると考えられています。
鈴木:そのヒロインたちは実在するのですか。
先生:実在したかどうかは分かっていません。ただヒロイン以外では、実際に会ったことが確認されている人物が登場します。例えば柴は1886年より、大臣秘書官として欧州視察に同行します。その途上で、( ア )と呼ばれる革命の時期に活躍したハンガリー出身のコシュートに会っています。また1881年にエジプトで民族運動を起こしたものの鎮圧され、セイロン島に流されていた( イ )にも面会しています。どうして柴は、こういう人たちに会いたかったのだと思いますか。
渡辺:どちらもヨーロッパの大きな国と戦った人たちですね。1880年代というと、領事裁判権を含む、日本に有利な( ウ )を結んだ後の時期である一方、( エ )に向け、西洋列強と交渉が進められる時期ですね。柴は、ヨーロッパの大国に対抗した人々に共感し、その行動から何かを学びたかったのかもしれませんね。
先生:恐らくそういうことだと思います。このように、明治期には国境を越えた人の移動や様々な人との交流が盛んになり、そこから得られた情報が日本の政治思想の形成に大きな影響を与えていくことになります。
前の文章中の空欄(イ)の人物について述べた文あ・いと、その人物が主導した民族運動を鎮圧した国X・Yとの組合せとして正しいものを、後のうちから一つ選べ。
(イ)の人物について述べた文
あ エジプト総督に就任した。
い 「エジプト人のためのエジプト」というスローガンを掲げた。
民族運動を鎮圧した国
X イタリア
Y イギリス
- あ ― X
- あ ― Y
- い ― X
- い ― Y
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この過去問の解説 (1件)
01
この問題では、明治期の日本人・柴四朗が会った人物のうち、空欄(イ)に入るエジプトの民族運動家について問われています。
その人物の活動内容と、それに対して介入・鎮圧を行った国との関係を整理して、正しい組合せを判断します。
【問題の背景と登場人物】
・空欄(イ)に入るのは、アフマド=ウラービー(アラービーとも表記)です。
・彼はエジプトの軍人で、1881年に民族運動を主導しました。
・この運動は、オスマン帝国の支配下にあったエジプトに駐留するヨーロッパ列強(特にイギリスとフランス)の干渉に反発したものです。
・彼は「エジプト人のためのエジプト」を掲げて、外国勢力と結びついた支配層を排除しようとしました。
・この運動は1882年にイギリスによって鎮圧され、ウラービーはセイロン島に流刑となりました。
【各選択肢の確認】
あ 「エジプト総督に就任した。」
・ここで言う「エジプト総督」とは、オスマン帝国の支配下にあるエジプトで、その地を統治するヒディーヴ(総督)のことを指します。
・総督の地位は形式上はオスマン帝国(当時のスルタン)から任命されますが、事実上の世襲制になっており、軍人や官僚が就任するような職ではありませんでした。
アフマド=ウラービーは軍の将校であり、政治運動の指導者ではありましたが、総督の地位に就いたことはありません。
→ 誤った記述です。
い 「エジプト人のためのエジプト」というスローガンを掲げた。
・19世紀末のエジプトでは、オスマン帝国による名目的支配と、実質的なイギリス・フランスの経済的・軍事的干渉が強まっていました。
・ウラービーは、エジプト人による自立した統治を主張し、外国の干渉や外国人優遇政策に強く反対しました。
・その主張の中核にあったのが、「エジプト人のためのエジプト(Egypt for the Egyptians)」というスローガンです。
このスローガンは、民族主義(ナショナリズム)と反帝国主義の精神を表すものとして、エジプト近代史の中でも重要な位置を占めています。
→ 正しい記述です。
X 「イタリア」
イタリアはこの運動に関与していません。
→ 誤りです。
Y 「イギリス」
1882年にイギリスが軍事介入し、ウラービー運動を鎮圧しました。
以後、エジプトは事実上イギリスの保護国状態になります。
→ 正しいです。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
正しいです。
ウラービーは、「エジプト人のためのエジプト」というスローガンを掲げて民族運動を行い、それをイギリスが鎮圧しました。
したがって、「い―Y」 の組合せが正しいです。
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